たまたま日記

たまにしか書かないに日記         遊びをせんとやうまれけむ   戯れせんとや・・・・

出っ張り候

 コロナ感染急増につき  引き籠り候ところ
 腹出っ張り候  いささか苦しく候
 よって、近所をぶらぶら





 咲き残っていた菊も、さすがに霜枯れているけれど、師走の今日まで花影をとどめて残っているということは今年はやはり暖冬なのだろうか。残菊や葉の枯れはてし花あわれ、と見るたびに思う。不思議な花だ。





 お寺の境内を通り抜ける。青い空に甍を連ね静まり返っているように見えるが、境内では早くも初詣でを当て込んだ露天商のテントが設営されつつあり。コロナのこんな情況だが、初詣では例年通りなのだろうか。だとすれば、宗教の力はまさに根強いなあ。
 よくお参りする人に聞いてみると「神様にお願いをするんじゃない、お礼を申しあげに行くのだ」なんてことを言う。信仰心が全くない方だけれど、それはいいなあ、利益ばかりじゃあ、いささか浅ましい気がするが、お礼を言うならエライと思う。





 崖線の湧水を見る。水はとても澄み切っている。惜しいことに枯葉が浮かんでそれが少し汚く見える。鯉がゆらゆらし、鴨(コガモかな?)が人を恐れずにすい~と水面を泳いでいる。鴨はいったいここで何を食って生きながらえているんだろう。
 カモや鯉とは仲良くしてもいいが、熊や猪みたいに里に下りてきて悪さをする連中は、構わずとっ捕まえて、ムシャムシャ食っちゃえばいいと思う。そうすれば、あいつらも「おい、人間に近ずくな、あれは獰猛な奴でなんでも食うゾ」と恐れをなすだろう。それで連中は山の中、人は里、お互い共存出来ようてえものだ。






 川の土手を歩く。土手の両脇にはまだ青々とした草がある。この青々もこれから枯れてしまうのだろうか? それともこのまま春を迎え、一層青々と生い茂るのだろうか? 足元の雑草(?)に気を向けたこともなく、どう冬を過ごすのか一向に知らない。
 そうして小公園に入る。近くのコンビニから握り飯を調達してモミジの下で食す。赤茶けたモミジの葉がまだ枝に着いたままだ。足元の枯葉を取り除くと、弾丸のような形のドングリが出てきた。植物の冬模様もそれぞれで面白い。
 温かく晴れていた空に雲が広がり始めた。ここまで5,6㎞歩いたから、そろそろ帰るとするか。来た道をただ戻るのは芸がないから、ちょっと外れた道にしよう。肝心の腹の出っ張りは、そう簡単には解消しないが、ま、こんなモノかな。




 
 住宅の中の、いまは雑草ばかりの、かって田んぼだった脇を通る。「枯野」という言葉が浮かぶ。「旅に病んで夢は枯野をかけめぐる」は芭蕉さんの頭の中の創作だろうか、それとも実感だろうか。またそれは、縹緲と寒々しい枯野だったのだろうか。
 冬の陽を一杯に受けて、どこか温かみのある枯野、そんな景色であってほしいな。しかし、脳みそは本人の意のままにならない。どんな思いを浮かび上がらせるか分かったものではない。そうならないように生きているうちから、よくよく脳みそに言い聞かせておこう。
 



 少し風が出てきて、3時ごろ帰宅。
 ぶらり散歩は約10㎞。
 これを毎日やればいいんだけどなあ!

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