野辺の土手刈られてもまた蓼の花

野っぱらの土手道はしばしば草が刈れる。
が、きれいに刈り取られて、ちょっとたつと、そこにタデがひょろひょッと伸びて小さな危うい花をもう咲かせる。生命力が強いらしい。しかしまた、雑草と呼ばれるものは生命力が命なのだ、これなくて何が雑草か、なんてエラそうなことも思ってみる。
夏の野辺は、花が少ないようだ。その中でこの赤い花はよく目立つ。刈られても刈られても咲き返す生命力に、ともすれば疎ましさを感じるときもある。だが、あたり一面の夏の濃い緑の中に咲いていると、きれいだな、と思うこともある。
花も虫も木も、なあ~んにも知識がないが、「蓼食う虫もなんとやら」とか、「蓼酢で鮎を」などと聞きかじったように思う。しかしむろん、どの蓼が虫にむしゃむしゃやられるのか、どんな蓼が鮎をおいしくするのか、これぽっちも知らない。(鮎、食ってないなあ!)
だいたい蓼酢などはもう死語の世界かなあ。よほどの高級店でもなければ、お目通り願うことさえ叶わぬものかもしれない。同様にして、フキノトウのほろ苦さを味わうことも、もはや果たせぬ夢となったらしい。
味付けとなれば、なに構わず味の素ドバッと大量、蕎麦を食うには麵つゆドバドバっと構わず。肉は牛、豚、鶏の限定でその他はなし。それでいて一向平気。ツユ疑うことなく日々をつないでいる。われながらどうなちゃったんだろ。
これでは雑草ほどの逞しき体にはならんかも。生命力の強さも神が与え給もうてくれなかったらしい。ならばまあ、それなりに、ほどほどに、身の丈に合わせていくがよかろうと思う。それしかないナ、どうもはや。
ところで蓼食う虫ってどんな虫!?_
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