たまたま日記

たまにしか書かないに日記


遊びをせんとや生まれけむ   戯れせんとや・・・

猛暑過ぎようやく散歩萩の露



 とんでもない猛暑の予報だったのだが。


 10時を過ぎてもまだ空気はひんやり涼しかった。予報、外れたり! とかってに思い込んで、ならば、と散歩に出かけた。やはりとんでもない猛暑だったら、近場だから、そそくさと帰ればいいや、と大いにタカをくくって出かけた。


 久しぶりの散歩は、なかなか気分がいい。空は8割がた雲が被さって日差しは薄く、ちょうどいい塩梅である。川の土手道に登れば、そこここに秋らしい野草の花などが見えている。植物の世界は、なんだかんだ言っても季節は移っているらしい。




 などと思ったのはほんの1時間程度、知らぬ間に空を覆っていた雲に隙間が空いて、だんだんと強烈な陽ざしが出てきた。グワシャと頭が押さえつけられるような気がする。たちまち汗が噴き出してきた。う~む、やはり予報的中か?


 あぢ~、あぢ~、たまったもんじゃない。3キロほど歩いてもはや降参! 帰ろうと思う。帰る道々、たまらずに日影を見つけちゃあ休憩。急ぐ必要はな~~んもないから、ヘタレないようにゆっくりトボトボ帰ろうと思う。


 終わってみれば、3時間、8.5㎞の小散歩だったが、陽に炙られたせいか、げんなり疲れた。どう見ても予報を信頼すべきであり、かってな自身の観天望気など毛ほども信ずべきではない、ということがよく分かった。





●如何なるカミの嫌がらせか、動画を掲示できない!! またあとで考えよう。


このところ、いろいろ練習している動画を撮った。(ぼけぼけ動画になってしまった)


「川辺のさんぽ(BGM)」・・・動画練習2


動画リンク
https://youtu.be/15NQCDjbCrg





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静けさや鈴虫の音のひときわに



 知人から鈴虫を数匹もらったことがある。


 ビニール袋に入ったそれは、なにやらゴマ粒のようであり、頼りなく儚げであり、とうてい生かしておくことは難しいだろうと思われた。それでも、せっかくだからと自宅に持ち帰り、プラスチックのケースに放り込んでおいた。


 生きていれば何か食うモノが必用だろうからと、きゅうりやナスの切れっぱしなども入れておいて、しばらく知らん顔をしていた。そしてあるとき、ふたを開けてみたら、なんとまあ、ゴマ粒が大きくなって、しかも数が増え、わらわらと動いていた。


 これには全く、あっと驚く為五郎であった。そこで、こころを入れ替え、きゅうり、ナスの切れっぱしを取り換えなど世話をしたら、さらに驚くべきことにチリリ、チリリと鳴き出したではないか。電気を消した後この声を聞くと、秋の夜が更に静かになるようだった。




 検索してみたら、羽のようなものを震わせて音を出すらしい。しかしその羽のようなものは極めて短く、小さく、あんなものを震わせた程度で、よくもまあ、人の耳に十分感知できる音が出せるものだと感心してしまった。


 また、虫の音を愛でるのは、中国人や日本人であって、西洋人はあれを雑音としか認識しないのだそうだ。よって、西洋人はデリカシーに欠ける、などと短絡してはいかんだろうけれど、これもまた不思議な現象だと思う。




 などと言っておいてなんだが、どういうわけか、近頃とんと虫の音が聞けなくなって、静かな秋の夜に虫の音を愛でて情緒に浸る、なんてことが全くなくなってしまった。聞こえるのはガサガサのテレビだけである。


 これはもしかすると、ネットなんぞにひたすら拘らって、しょうもないクズ情報ばかり頭に詰め込んでいるこの身に天罰が下ったのかもしれない。それとも、我が行いを顧みず身びいきで考えて、秋鳴く虫が激減してしまったのだろうか。



 虫愛でる姫、その音色も愛でたのかナ




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鬱々の果ては寝酒の夜長かな



 どういう具合でそうなるのか、ドボンと気分が落ち込むことがある。


 低気圧が近づいてなのか、季節の変わり目だからか、はたまた持って生まれた性格なのか、ほんの時たまそういう塩梅になって大いに困る。こういう時は、なにをする気も起らない。ただ呆けたようにぼんやりとして、ときが過ぎていく。


 ぼおうッと呆けた頭に浮かんでくるのは、あの人にあんな態度をとって悪かったなあ、とか、酒に酔って言わずもがなを言っちゃったなあ、とか悔悟ばかりがわらわらと浮かんでくる。あげくの果ては、なんちゅうバカ者なんだろうか! で終止符を打つ。




 酒でもかっ喰らえばこの気分から脱出できるかと思って、夜中に一人飲んでみるが、そううまくはいかない。飲むほどに慚愧の思いが、ぽかりぽかり止めどなく浮かんできて、これぽっちも楽しい気分にならない。あげく二日酔いでもしたら目も当てられない。


 こんな気分のときに、動画の取り込みなどに失敗したり、なにか思いもかけぬ小さな嫌なことが起こった日にゃあ、どんより気分はどこまでも、地球の裏側までも落ち込んでいって、ため息さえも引っ込んでしまう。




 これはもしかすると、神様が「たまにゃあ静かに、帰し方行く末などを思うべし」という配慮をなされたのだろうか。ところがぎっちょん、日ごろから無思慮無分別、考えなしの脳太輪だから、帰し方行く末などこれぽっちも考えたことがない。


 日頃思ったこともないものを、いくら神様の思し召しとは言え、呆け頭に浮かんでくるびょうもなし、神様誤ったり! もしこれが、正式な病気なら、薬だけれど、そんな本格的なものじゃなそうだし、ま、とりあえず打つ手なし、だな。




 夜長というのも、いいようで悪いようで。




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