たまたま日記

たまにしか書かないに日記         遊びをせんとやうまれけむ   戯れせんとや・・・・

一過



 暮れから正月、人が急に増えて、家の中がわあわあ、どたばた。


 それもたちまち過ぎ去って、もとのように静かな明け暮れに戻った。ふと気づいてみれば、今年は運転免許更新の年、そのために、それ講習だ、検査だ、とあっちに行ったりこっちに来たりせねばならない。


 その講習や検査を予約しなくてはならない。なんというめんどくささ! めんどくさい、と言いっぱなしでは免許はくれぬ、嫌々予約手続き、ほんとうにもう、いい加減にせいよ! しかし深く自覚するのだけれど、認知機能は明らかに衰えているからなあ。


 予約手続きが済んで、カレンダーを見たら、いつもの月の5倍ぐらい予定が埋まってしまった。こんな複雑化した予定を消化しきれるのか!? 大いにアブナイ! しかしまあ、危ないけれど、それをこなしてみようと思う。



 一つ一つ、一日一日、確実に、慌てないで詰めて行ったら何とかなるような気がする。なあ~に、予定が詰まっていると言っても、働いているわけじゃないから、普通の人から見たらスカスカのがら空きのようなものなのだ。


 そのスカスカのがら空きを、確実にこなしていくために、ここまで思い詰めなければならないのは、なんとも情けなかあぁ!! なのだが、現実であってみれば、どこかにその尻を持っていくわけにもいかない。潔く諦めて実行すべし。




 今んところ、冬にあるまじき暖かい日があるが、この月を過ぎれば寒さも底を這うようになるだろう。そのときにじっと冬ごもりできるように、今月は忙しく(だから他人から見れば暇だちゅうの! )動いておこうと思う。


 そうして冬ごもりしておいて、さあ、3月ともなれば、もそもそと動き出してできる限り表に行こうと目論んでいる。今までの感じでは、この冬は「暖冬」であるような気がするから、3月はもう春ではあるまいかと思う。



 恐ろしいことに、春が来れば
 たちまち夏になって、また一年が終わる。
 そんな惰性の日を送らず、なんかしろよなあ!

一瞬先



 元旦からこういうことが起きていいのだろうか!!


 不条理の一語に尽きる。地面が大揺れに揺れ、津波だぞ~と騒いでいるうちに火事が起こった。矢継ぎ早の自然災害は、正月気分も何もかも一瞬で吹き飛ばしたに違いない。なんて言ったらいいか、言葉もない。


 まことに、自然が人の世の都合を斟酌しないにもほどがある。なにも、よりによってこんな時に! と思わないではいられない。一瞬の先にこの不条理が黒々と転がっている。いつ何時自分の身に降りかかってくるか、誰にもわからない。


 
 そうなったとき、一体どうすればいいのだろう。思い浮かぶのは、まずなにがなんでも、遮二無二生き残るようにするしかないのだろう。当然それが叶わないことだってあるだろうけれど、それが運というものだろうか。


 生きていれば何とかなる、そう思う。苦しいことが多いだろうが、なんとかそれに立ち向かっていきたい。か細いけれど全霊を振り絞って、迎え撃っていきたいと思う。そのために日ごろから精神をタフに鍛えておかなければなぁ。



 おそらく、というよりも確定的に今度もなにもできないから、陰ながら思うことしかないけれど、どうか頑張っていただきたい。誰にでも降りかかるだろう、理不尽な災害について、こちらで、このことを深く考えていきたいと思う。


 せめてそういう覚悟だけでも。

冬至




 じゃじゃぁ~~ん! ついに冬至になった。
 明日から、陽は刻一刻と延びていく。それにつれて日差しも少しづつ明るさを増していく。ぐいぐいと明るい未来が開けていくのだ。まことにお目出度いことではないだろうか。それだから、冬至に強い思い入れがある。


 なににもまして、だんだん世の中が暗くなる、というのは背中がうそ寒い。それが今日は頂点に達してヨッコラショと乗越え、逆に世の中がだんだん明るくなるから、春に向かうような心持になってくる。誰だって嬉しいはず。



 それで、どれぐらいづつ日が長くなるのか、と言いうことに自分なりに一つの偉大なる計算方式を持っている。まず今日の日暮れは何時ごろか? ひとまず大雑把に4:30頃としておく。で夏至の頃はどうか? これも大雑把に7:30頃とする。


 となると6か月で、おおむね3時間の開きとなるから、1か月では30分という計算になる。つまり1か月後、1月20日ころは5時ころ陽が沈み、2/20は5時半ころ、3/20は6時ころ、4/20は6時半ころ、5/20は7時ころ、6/20夏至では7時半ころ、となって計算が合っている。


 調子こいてさらに言えば、1月と11月はほぼ同じころ陽が沈む。同様に2月と10月、3月と9月、4月と8月、5月と7月がそれぞれに陽が沈む時刻がほぼ同じだ、ということになる。これは世紀の大発見だと思うのだが、家族でさえもそれを認めようとしないのは何故だろう。



 しかしながら、さりながら、お天とう様の運動はひとまずこれでいいとしても、問題は暑さ寒さの方だ。これはもう、その年により、またその地域によりがくんと違ってきて、一筋縄ではいかない。えらいめんどくさい連立方程式を解かなければならないのだろう。


 しかし間違いなく言えることは、冬至を越してすぐ温かくはならず、だんだん寒くなり、概ね2月中旬頃が寒さの底だろうか。この寒さに対しては、着れるだけの服を着て、じっと我慢で、日の行き過ぎるのを待つしかない。じっと待ってればいつか春が来る。たぶん。



 さて、ことほどさように冬至はめでたい日である。
 だから、お祝いが必要だが、
 冬至湯もカボチャ入りの小豆粥も、無い!
 ハローウィンなんてアメリカだけのお祝いなんかするにより
 冬至をば祝うべきではないか!