たまたま日記

たまにしか書かないに日記         遊びをせんとやうまれけむ   戯れせんとや・・・・

早春



 春を欺くような暖かい日。


 小さな街の駅に降りれば、日差し明るくきららかに降り注いでいる。
 寒が明けて三段跳びに飛び跳ねて春が近づいてきたらしく、風も穏やかにそよぎ、行きかう人の服装も少し軽やかに見え、表情もどこか明るく感じられる。街並みも白っぽく目に眩しい。さあ、ゆるゆると歩こう。


 なんの用事もないから、ぽくらぽくら街中を歩いて行く。山間地の小さな街だから古い建物がぽつりぽつりと残っている。黒漆喰を分厚く塗り固めた「店蔵」、ひょいと覗いてみれば、吊るし雛がわんさか。一気に華やかで豪奢な気分になった。


 中に入ると小さくて丸げなおかみさんが、どうぞ見て行ってください、とにこやかにほほ笑む。緋毛氈が敷きつめられた床に雛飾り、様々な色の吊るし雛、由緒ありげな小さな小さな道具類。話を聞けば、明治27年創業の絹問屋だったとか。


 
 雛飾りが一気に春を呼ぶものとは知らなかった。寒くて暗い冬を突き飛ばすように追い払って緋毛氈、なるほどなあ、と今更ながら。これがもし雪国の雛飾りなら、その喜びはいかばかりか、と想像に難くない。春は誰にとっても嬉しいものだ。



 道脇の料亭のような建物の壁に「畑屋横丁」という看板が掛けてある。その路地に入っていくと、奥まった一画に昔風の「料亭」の看板が出ていた。板壁が長い年月で古色を帯び、出入口を覆うような植え込みが、いかにも閑静を示している。看板に「昭和初期より置屋から料亭として引継がれてまいりました。この地域は芸者衆の三味線や太鼓の音で大変賑わった粋な界隈でございました」とある。そうなのかあ、ふむふむ。


 


 10時ごろ歩き初め、まだ昼前なのだが、あちこち立ち寄ってもすでに街並みが尽きた。目の前が丘陵となって、その丘陵の中を流れてきた川の、川幅が広がり、大きな河原を形成している。周りの木々はまだ冬姿のままで、細い枝先を群青の空に突き刺しているが、すぐにでも芽吹こうと虎視眈々、待ち構えている。




 丘陵の方へ登るってみると、舌状台地を切り開いて、市民会館の建物があり、その前面が広々とした公園になっている。芝生の広場がただ広がって何もないけれど、いっそちまちましてなくて、気持ちがぐう~んと広がるようだ。
 広場の先にどっしりした山門が見える。門脇の白梅が満開であった。この梅の木は、紅梅もあって、ともに春に先がけて寒の内から咲きだし、少し遅れて普通の梅も花を持つらしい。一口に梅と言っても、いろいろあることを遅ればせながら最近知った。



 境内の参道に巨大な石灯籠がずらりと並んで、儀仗兵の威儀を受けているような気分である。そこに紅梅のひともとが花を添えてくれる。なかなか気分がよろしい、他にあまり人がいないから、大いに威張って通り抜けた。



 本堂前の陽だまりのベンチで昼飯とする。陽は燦々として、柔らかな風がそよりと吹き抜けていく。大小さまざまな建物が周りを取り囲み、その中にすっぽりと落ち込んで、独り世の中の時間と隔絶されたような気分になった。




 お寺の裏にこんもりとした小山がある。低い山で難なく上れそうだから登り口を目指す。山道をぽつねんと歩いて行くのもいい。緩やかに弧を描いて少しずつ、少しづつ登り傾斜が続く。これぐらいだったらどこまでだって行けそうだが・・・




 しかし冗談ではない、いきなり階段道となった。階段道はらくちんそうで、実はらくちんではない。歩幅や階段の高さが微妙に合わない。とは言え、オレに合せて造ったものではない。道脇にはクマザサやアオキの木が緑を保っている。




 棒っ切れを杖代わりにへろへろと登る。息が切れたら立ち止まり、また昇り、立ち止まりつつ、やっとのことで頂上に出た。眺めがよく、街並みの白っぽい建物が累々と連なって、谷間を埋め尽くしている。ベンチで休憩。


 となりのベンチにでは中年男女が一組、なにやらごそごそ話している。ひとがなに思おうと知っちゃいないわ、ひとはひとよ。というような会話が漏れてくる。そのほかに妙齢の女性と犬一匹、一人と一匹が盛んにスマホで自撮りをし、飽きることがない。
 しばらく休んで汗が引き、下山しようと思う。戻るについては別な道を下る。休憩所の広場があって、オヤジが一人握り飯を食っていた。こちらの道は途中から舗装してある。登りがウソだったように、瞬く間に下山、またお寺の門のそばに出た。







 さてこれで帰ろう。春は名のみと言うなかれ。暖かだった。
 まだ時間が早いので、ゆっくりと駅へ歩く。
 おおよそ10㎞、楽しい散歩だった。

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