集めてはまた集めては落葉焚き

大量に落ちているものは、是が非でも拾い集めたくなる。
落ち葉然り、ドングリ然り、これビンボー根性のなせる業なりや否や。落ち葉のように銭が落ちていれば、ビンボー解消、願ってもないことだが、世のなかなかなか、うまくはいかない。昔に比べ、近頃は特に落ちていないようだ。
大量に落ちているものがそのまま放置されていると、ビンボー根性もさりながら、なにかモッタイナイなあと思う気持ちが少しする。このまま朽ちるに任せるのは、なんとしても惜しい、何か活用方法はないものかと考えるが、せいぜい焚火ぐらいか。
しかしよく考えてみると、有効な活用方法などあるわけがない。そんなものがあれば、だれでも拾って活用し、お金にするに違いない。取り立てて役に立たないから、大量に落ちたままなわけで、モッタイナイがおどおどしたりする訳だ。
さりながら、あんまり役に立たないものを、どうかこうか役立つものにする、ということを考えた人はエライ。栄養などないよ、と言われているコンニャクを立派な食料にした。ジュンサイなるものを集めて珍味にした。桜の花を塩漬けにして優雅なひと品にした・・・
そんな風に考えてみると、ヒトの歴史は役に立ちそうもないものを、どうにかこうにか、ぶっくらわして、役に立つものを生み出してきたのかもしれない。とても食えそうにないイネ科の草を力ずくで稲に育て上げ、走り回る動物をだまくらかして家畜にしてきた。
今では単なる電気のオン・オフを0と1になぞらえ、空前絶後の技術を生み出してしまった。これはもう、この先どうなることか解ったもんじゃない。そこいら辺に無暗に落ちているわけではないが、歴史というものは思わぬ方へ展開するなあ。
落葉もどんぐりも、遠い未来は役立つかも。
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