山里の冬めいてゆく陽ざしかな

季節は、こちらの思惑などキッパリと無視して進む。
暑いだの寒いだの、紅葉がどうのこうの、そんなものを歯牙にもかけず、そろりそろり、あるいはずんずんと進んで、いつの間にかころりと変わっている。人の思惑を「キッパリ無視」というところが好ましい。知らん顔のところがいい。
人知工夫の及ばざるところは世界に満ちているはずだが、ついつい、なんとか工夫すればなんとかなる、と思ってしまうところが、困ったもんである。科学が進歩しようが、AIがどうしようが、なんともならないことはゴマンとあるに違いない。
はやい話が、季節の進行は止めることが出来ないし、自然災害を無くすこともできない。人が知りえること、なすことが出来ること、これはもう、世界の中でほんのわずか、ひとったれの部分でしかないのかも、と思い当たる。
なんといっても、自分が明日どうなっているのかさえ、知ることが出来ない。ましてや死ぬことを回避することは、天地自然の理に背くことであり、そんなことはだれしも容認できることではない。だから敢えて、顔を背けて知らん顔をするしかないのだ。
忘日、施設に入っている、年の離れた高齢の姉を見舞った。認知症が進んでいるのだろう、もう誰だかわからなくなっているようだった。しかし、分かってはいないだろうが、こちらの言うことにいちいち笑顔で肯いてくれ、それがなにより救いだった。
若い時は自分が死ぬなんて、よもや思いもしない。またそれでいいのだと思う。若い時からそんなことを考えたら、生きていけない。年とって目の前にそれが近づいてきても、頭を振って知らん顔の半兵衛を決め込みたい。どうにもならんことはいっぱいある。
暖かき施設の窓辺の冬陽ざし。
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