なんとなく過ぎてきたりし十二月

ああ、もう十二月になってしまったなあ。
一年を振り返ってみれば、何にもしなかったよう思われる。こんな調子だから、年寄りの一年は早く過ぎ去ってしまうのだろう。みっしりと一年が充実していれば、ああ、いろいろあったなあ、忙しかったなあ、やれやれ、と思うに違いない。
だんだん齢をとると、思うこと、することが一定の型にはまってしまい、若い時のように思いが奔放に拡散したり、することも型破りの自由がなくなってしまう。だから一年を顧みればスカスカの隙間だらけになってしまい、光陰は鉄砲玉の如し、と慨嘆する。
十二月といっても、昔のように西洋のお祭りにかこつけて、ジングルベルに浮かれて呑んだくれる、ということもないし、それ、お正月だと大々的な準備などもしなくなった。その他の月となんも変わらん平板なものとなって、まこと変化に乏しい。
となると、一年もまた、板のように平らになってしまって、凸もなければ凹みもなく、振り返ってみても、なにがあったんだか、なかったんだか、さっぱり分からない。加えて記憶や感情も薄らぼけて、ますますコンニャク板みたいに取り掛かりがなくなった。
日本人は概ね、齢をとると時間が速く過ぎる、という感慨を持つようだが、はて、この点外国人はどうなのだろうか? 同じ人類だから、日本人と同様のため息をつくのやら、いやいや、そんな湿っぽいことは考えもしないのか、どっちだろう。
こんなことも、この情報化に時代にあっても、とんと知らない。けれど、そんな過ぎてしまって、どうにもこうにも、手の施しようがないことを考えるだけ馬鹿らしいから、頭をぶんぶん振り払って考えないことにしなければならない。
じゃあ、なにを考えるか。ずっと先のことは、先がないから考えようもないけれど、季節は停滞しないで律義に移り変わるのだから、せいぜい外に出て、その季節の変化を肌身に感じながら過ごそうかと思う。そうすれば、コンニャク板にも少しは手掛かりがあるかも。
それにしても、時間というのはますます不思議だ。
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