多摩たま日誌

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「一句一ブログはボケ抑え」・・・できるかな?

羽根つきは遠くに去りて幻に

多摩たま



 羽根つきは、もうどこにも見かけなくなった。


 今はせいぜいバトミントンであろうか、世はたちまちに移り変わる。死語と言う言葉はあるが、死戯なる言葉があるのかどうか、子供の世界は特に変化が激しいようである。最先端の遊びに夢中になるのは、子供ならではなので当然と言えば当然だよなあ。


 羽根つきばかりではない、正月の遊びとしての手毬、独楽(ベーゴマは残っているかナ)歌留多、福笑い、双六、十六むさし、などなど、こんなことをして遊ぶのは、もはや皆無ではないかと推察する。今は炬燵でゲームなり。



 ふと思いついて歳時記をひっくり返してみた。あるわあるわ、今ではもう意味すら分からない言葉の数々、行事の数々。ちなみに手元の「新歳時記」は、1986年(昭和61年)、初版発行とあり、39年の昔のものであるが、すでにしてこの調子なのだ。


 試みに1月の項から、なんのこっちゃと、自分が思える事項を拾い出してみた。・初(鶏、鴉、雀)⇒こんな鳥どもに”初”をくっ付けてなんの意味があるのだろう? ・御降(おさがり)=元日に降る雨や雪のこと⇒何が降ってもいいが、オサガリとはこれ如何に。


 まだまだある・歳徳神=年初めに祀る神様⇒こんな風習は初めて聞く。・太箸=新年の食膳に使う白木の太い箸⇒普通の箸でいいじゃないか。・食積=正月用にあらかじめ作った料理の重詰⇒今のおせちの重箱詰めだナ。・・これで半分もいかない、もうやっていられん!



 こんなに”なんのこっちゃ”が多いということは、この40年足らずの年月に日本の風習や行事がガラガラと変わってしまった、ことを意味するのだろう。40年でもう訳が分からずになって、80年も生きた日にゃあ、浦島太郎の2回分である。困ったもんだ。


 50年も経ってから昔の土地に行ってみて、もうすっかり訳が分からなかった。同様に40年で伝統的な習慣や生活が、音立ててどこやらに去っていった。うかうかしていると、我がこころさえ遠くに去って幻になっちゃう。やんぬるかな!



 何事も押し流してや世の習い。



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