多摩たま日誌

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「一句一ブログはボケ抑え」・・・できるかな?

寒空に子等の顔火照るどんど焼き

多摩たま



 なにしろ深い雪の中だった。


 学校から帰る道すがらの畑に、円錐形のわら束が突っ立っている。取り急ぎ家に帰って、正月のしめ飾りや、ヘッタクソの書初めなどを持ち出して、畑のわら束に括り付ける。そうしてまた家に帰って夜を待つ。


 陽が沈む薄明りのころにまた畑に行き、今度は大人たちがいて火がつけられる。持参した餅や団子や、なにやかやをその火で炙る。ゆらゆらと燃え上がる火をじっと眺めていると、なんだか遠い世界に連れていかれるような気がした。



 小正月の行事は、全国じつに多種多彩であるらしい。・餅花を飾る(我が地方は団子であった)・小豆粥を食す(これは記憶にない)・左義長(もともと宮廷行事だったらしい)・虫追い(この時期虫なんかいるのかなあ)・なまはげ(あな恐ろしや)・かまくら(横手のは情緒あるらしい)・男子元服(今の成人式か? )・・・検索、生成AI氏が語った。


 今の東京にはこのどれもが無い(と思う)。地方に辛うじて一部生き残りたる有様、今は昔となりにけり、だなあ。多摩を地方とみれば、多摩川の支流の河原に、どんど焼きの円錐が突っ立っているのを見たことがある。せいぜい、そんなもん。



 しかしながら、さりながら、寒の内のクソ寒いこの時期に、どうしてこんな行事をあえて行うのだろうか、と思う。寒さが底を切るような時期であるから、うちに籠って炬燵でミカン、ないし熱燗の日々が正解なのではないのか。


 もしかしてひょとして、寒い時期だからこそ、敢えていろいろな行事を執り行ってその寒さを吹き飛ばすべえ、思っているのだろうか。そうだとすれば、人間は負け惜しみが強い、大層なへそ曲がりなのではなかろうか。



 生成AI氏もその「なぜか? 」は語らない。



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