水仙や冷たき風に気高くも

冬の寒風に咲く花は、みんなエライ!
特に水仙は、まだまだ冷たい風が吹き下ろす中で、背筋を伸ばし顔を上げて揺れている様に、なにやら気品さえ感じられる。寒さにじっと耐え、独り花をつけて孤高に咲いているようにも思われ、健気である。
水仙ばかりではない、寒梅も蝋梅も、ひょっとして仏の座なんかも、みんな極寒の中で咲く花は、実にエライもんだと尊敬の念さえ覚える。なにもこんな時期に咲かなくても、ぬくぬくの春はもうすぐだというのに、そんな打算は無いらしい。
しかしながらさりながら、この「人」たちにそんな気は微塵もないのかもしれない。「これはワテらの戦略だんねん、誰ぁれも咲かんうちに咲きだして、いち早く受粉しようと、マ、そう思いますねん」などと言うのかもしれない。
花に余りにも感情移入するのは危険だ。彼らには彼らの戦略と打算があり、それがあってはじめて、連綿と命をつなくことができたのだろう。この世で生きることは厳しんである。甘い感傷や同情は、時として命取りになるかもしれないのだ。
とマァ、こころは千々に乱れて、考えることがあっちに行ったり、こっちに曲がったりするのだが、それでも最終的に思うのは、「いのち」というものの不思議さ、巧妙さである。誰が一体「いのち」というものを設計し構築したのだろうか。
考えれば考えるほど、それぞれの「いのち」は実に旨くできているなあ、とひたすら感心し、誰が創ったのかと不思議に思う。そうして「いのち」のとっ初めに思いをいたせば、これはもう奇跡と言うほかないんである。
身の回りに「いのち」が満ち満ちている驚き。
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