多摩たま日誌

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「一句一ブログはボケ抑え」・・・できるかな?

 麗らかやうんと背伸びで通り過ぎ

多摩たま



 いつもの猫背をうんと伸ばす。


 おもわず胸を開き深くふかく深呼吸する。そこら中に花の香りが棚引いているように思われる。畑に人が動き、菜の花が風に揺れている。白い桜ははらはらと風に散り始めている。陽ざしは文句なく温かい。・・・時よ止まれ!


 長閑な陽のもとを、ぽくりぽくりとただ歩いている。むろん用事も目的もなんもない。どこへ行こうと、どこで止まろうと知ったこっやない、勝手気まま。それを咎める人もないし、教え諭す人もない。まるで凧が切れた糸。



 これを名付けて「散歩」という。散歩の妙諦は、自由気儘に有り。職を辞し妻子に見捨てられて後、ようやくこれを得る。なにごとも代償なくんば新境地得られず。二兎を追おう者は、なにも得られずと心得るべし。


 究極の自由気儘、凧切糸の境涯は漂泊なり。理想を漂泊となせど、今の世にこれは得難し。漂泊せしむれば、すなわち命危うかるべし。雨に打たれ風にさらわれ、食うに糧なし。止むを得ざれば尻尾を巻いて、すごすごと帰宅せざるを得ず。ああ、やんぬるかな。



 てなわけで、晴れた一日をぽくぽく歩けることは幸せである。金もなく教養もないけれど、暇だけはみっしりと豊富だ。それならこの暇を有効に生かせばいい。暇とわずかな体力があれば、小さな散歩はうってつけではないか。


 とは言え、生来の無精者だから毎日出歩くのは面倒くさい。時折よろばい出て彷徨い歩くのが性に合っている。なにごとも必死で、汗を流して、というのが苦手だから、いいからカンでテキトーで、それが自分らしくてちょうどいい。



 わが散歩の弁なり。




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