山はみどり白さ的皪山法師

緑が濃くなって全山緑一色。
そんな中で山法師は葉っぱの上に、にょっきりと真っ白い花を咲かせるのだから、否が応でも目を引く。知らないと、なんだ! なんだ! あれは!? と思わずにはいられない。木だとばかり思っていたのに、花が咲いている。
山法師は、花が咲いているとびっくりする。びっくりして、木のくせになんで花なんだ! と理不尽なことをいう。しかし、花の咲く木はいっぱいある、というよりも、花が咲かない木の方が稀なのではないか、なのにびっくりしてどうする。
山に入ることがまずないから、山の木に咲く花はほぼ見たことがない。コナラだってクヌギだって、ドングリができる以上は花を咲かせるのだろうけれど、見た記憶がない。もしかして、見てはいるのにそれと気付いていないのかもしれない。
ものを知らない、というのは、こういうことなんだナ。見れども見えず、見えても気づかず、気付いても関心持たず。こりゃあ、花ばかりの話じゃない、世のなかのすべてだナ。とは言え、余りに気づいたり関心持ったりしたら、安い頭が爆発するカモ。
つまるところは、モノをよく見ていないのだ。一瞥して、そそくさシャッターを押すことの方に気を取られ、見たような気になっている。だから写真は残ると言えでも、脳みその細胞には引っかき傷さえ残っていない。
これからはモノをよ~く見なければならない。ただ見るのではなく、じっくりと観察しなければならない。写真も必要だが、併せてよくよく観察することがなにより大事だ。時間はかかるが、なあ~に急ぐ必要はなにもない。
観察すればなにかが見える。
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