多摩たま日誌

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「一句一ブログはボケ抑え」・・・できるかな?

生徒らを並ばせ騒ぐ赤い羽根

多摩たま



 表題はしかし、一昔前の光景なり。


 動員されたらしい小学生などが、駅の通路などで「おねがいしまあ~~~す」と声を張り上げていたものだった。長い間、秋の風物詩(?)だったような気がする。それが、今はどういうわけかほとんど見かけなくなった。


 これはしかし、鬼のような恐怖だったなあ。いたいけでカワユイ小学生がずらり並んで声を張り上げているただ中を、知らんぷりで通り抜けるのは、なんだか罪人になった気分がした。これが女子高生だったりしたら、目も当てらない。胸がドカドカ高鳴って、しどろもどろしながら募金箱になけなしを入れたっけ。



 これがあまりにも恐ろしかったので、ゆるい頭でいろいろ考えた。オラあ、ちゃんと税金取られてるだ、募金で集める金はほんらい税金から出すべきものでねえだか。との考えに至り、だがしかし、ずらり並んだ「お願いしまあ~す」を逃れるのは、鬼神の如き勇気が必要だった。勇気もなく、金もなく、逃げるすべがないのだった。


 近頃この光景を見かけなくなったのは、秋十月のなによりのこころの安泰である。どういうわけがあってこれを止めたのか、とんとわからないけれど、動員をかけられる生徒たちにとっても、なによりなのではなかろうかと思う。



 今でも様々な募金があり、それは社会のためにおおきに役立っているのだろうと思われるが、集められた金がどういう道筋を通ってどこに集められ、誰の手に渡っているのか、それがよく分からない(というより、調べもしないけれど)。


 今流行のクラウドファンディングなる横文字の正体も募金であるらしいが、これなど特に個人で募金を募るようだから、どういう按排になっているのか杳として分からない。おそらく、許可も監査もないのだろう。小心者だからこんなことが気になる。


 しかしそんな細っけえことは脇に置いておき、募金をすれば天にも昇る心地よさがある。何かとんでもなくいいことをした気分になる。能登の地震のとき、スイカのポイント、ほんのわずかばかりをポチッとして募金に応じた。ひどくいい気分だった。



 赤い羽根はどこに飛んでいったのだろうか。




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