日を追って陽ざしの強さ春を待つ

大寒ど真ん中だが、陽ざしは強い。
そうして、なぜかここにきて気温が高い。春は隣、のような気がしてしまうけれど、これは本当なのか。フェイントをかましておいて、立春あたりからみっしり寒くなる、なんてことはないだろうなあ。頼むよほんとに!
大寒のころは、やはりなんといっても身構えてしまう。なにしろ、「もうそろそろどうじゃ」と神様だかなんだかが声をかけそうな、そんなお年頃なんである。だが寒さの底を切るとなんとなく安心する(安心できる根拠はないのだけれど)。
このところ故あって、トンと表に出ていない。野っぱらに春の兆しが有りや無しや、確かめてみたいなあ、と思っている。その「故」であるところの懸案を、明日はひとつ是が非でもやっつけたいと思う。そうすれば、軽い肩の荷を下ろして出かけられる。
自分にとって、春の兆しは仏の座とオオイヌノフグリだ。枯れ草の中にこれが目につくようになると、自分だけで春が来たと認定する。いつのころにか、なんの故にかこの二つの草の花が、春の兆しの認定の根拠となってしまった。
春が来るのはもちろんいい。待っていたのだから歓迎する。が、来てしまった後に若干の問題が残る。春がいったん来た以上、様々な花がわらわらと咲きだし、そして散っていく。こんなにいっぺんに咲きださなくてもいいのに、聞かずに咲きだす。
そうすると、あれが咲いたこれも咲いたと、こころ穏やかではない。せかせかと急かせられて、ちっとも落ち着く暇がない。駘蕩たるべき春の日々を、そそくさと気ぜわしく、終いにはイライラとして日を送ることになる。バッカだなあ、と自分でもそう思う。
ともあれ、寒よ早く行ってくれ。
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