記憶にとどまるのかナァ
ここへきてようやく収まるのかなあ、と感じている。
この間、いろいろ感じさせられることがあったが、それが果たして記憶として脳みそにとどまってくれるのか、それとも朝霧にようにはかなく消えてしまうのか、どうも歳だから後者のような気がしてならない。
なんの参考にもならなかけれど、この間に感じたことを備忘録としてメモしておくのもあながち無駄じゃない、と思うので、こころのままに書き残しておくことにしよう。でも、後日それを思い出して読み返すのかどうか、それすら危ふい。
・政府および行政がいかに無為無策であったか、よくよくわかったように思う。
口先だけは危機管理なんてえことを言っていたが、なんにも、これっぽっちも準備していなかった、ということが明らかになったように思う。
だからだろう、コロナ発生と動時に「感染を疑われる場合は、何はともあれPCR検査なるものを実施して、感染者を素早く隔離」する必要があったと思うだが、それなのに、「なるべく検査しない」方針を採ったらしい。その理由は、「医療崩壊が起こる」ことを心配したからだ、という情報(うわさ)が後日になって入ってきた。
これによって、「感染者が野放し状態になった」虞はなかったのだろうか。
もし病院やお医者さんが不足する、というならば、自衛隊の病院船や医師を動員することは不可能だったのだろうか。(アメリカはいち早く軍の病院船を準備した)。
パンデミックが始まったと認識したら同時に、危機管理室なるものが先手先手を打って隔離、医師と病院の準備、医療器具と道具の準備、などの手を打っているものとばかり思っていたのだが、いまになってみるとこれらは、なあ~~~んにもなされていなかったようだ。
こういう事態が起ることを想定して、危機管理室ないし政府の危機管理対策があるのと違うのだろうか。でなかったら、何のためにあるんだ???
細部を見たらもっと思うことはいくらでもあるが、備忘録としてはこのくらいで。
・われら民衆がやはり一番偉かったと思う。
政府および行政に任せておいたら、みんな死んじゃう! という切迫した危機感があったのか、われらは忍び難きを偲んで「自ら自粛」した。そりゃあ、政府の号令があってからだが、正直これほどぴたりと「8割自粛」が可能とは思えなかった。
が、粛々と冷静に自粛が敢行された。その裏には、生活がまさに係っていた人もいただろうし、不可能なものを無理無体に押し付けられた人もいただろうと思う。それはもう、一人一人の尊い犠牲的行為の上に達成された「8割自粛」だっただろうと思う。
このことを思うと、こんな立派な国民はほかにないのではないか、自慢じゃないが。
・ただ残念なことが一つある。・・・「正義の使者」としてのふるまい。
聞くところによれば、医療関係者や弱者の施設で懸命に命を守る仕事をしている人に対する故無き誹謗、他県ナンバーの車へのまた、散歩や山歩きの人々に対する嫌がらせ、などなどが頻発しているという。
こういうことを聞くといやでも、関東大震災時の朝鮮人に対する振る舞い、戦時中あったとされる「国防婦人会」の活動、あるいは、藤原ていさんが満州から引き上げる際に、貨車の中で下痢している子供を何とかしろ、と怒鳴られいじめられたこと、などが頭に去来する。
吾らは、この当時と全く変わらないのであろうか?
「正義の使者」として、弱い立場の人を窮地に追い込んでいいのだろうか?
こんな騒ぎは全くもってうんざりだけれど、
いつか笑って思い出す日が必ず来る。
その時まで、ほんのもう少だけだ。