庭隅にかじかんで寂し冬の薔薇

花の女王であるバラも冬はさえない。
春や秋は、あたりを払って威張っているけれど、冬はすっかりかじかんでしまい、落ちぶれた乞食のようにひっそりしている。それでもなお、花をつけ耐えているのは、貴顕でありし身の矜持であろうか。
バラは生まれはともかくとして、育ちは超エリートであるらしい。永いながい間、西洋の人々が改良に改良ををかさね、下にも置かず育んできた。その結果として今日の女王としての気品と美しさを獲得してきたのだろう。たかが冬如きで、それは崩れないらしい。
それが世が世(春または秋)であれば、傲然と枝を伸ばして、輝く陽の光に惜しげなく花びらを開いているはずだ。深大寺の植物園のバラなどは、どれもこれも、我が世は天下の春(秋でもいいけど)を謳歌している。
そして冬にかじかむとは言えど、春ともなれば憤然と立ち上がり高貴な花をつけるのである。これはやはり、花のエリートとして慈しみ育まれてきたその結果ではなかろうか。バラはもしかすると、氏も育ちもよろしきものではないのか?
人の世もまたかくの如しだろうか? 生まれも育ちもよろしき人は、例えたまたま不遇に陥りしと言えども、それに平然として耐え、いつしか芽を出し花を咲かせるようである。ド貧困でド下層育ちのわれは、不遇であえなく潰れてしまう、そこが違う。
たまたま一代で財を成せしも、見たこともないような大金を目にしてトチ狂い、欲望に負け、たちまち目の前から消えていくもの少なからず。氏、育ちよきバラのような人は、金などなんぼのものじゃ、と心得ているからそんなバカはしないのだ。
認めたくないが、階層は確かに厳として存在する?
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