山あいの雪解け水や釣りの人

雪解け水、即ち雪代は笹濁りで滔々と流れる。
こんな時に釣りをする人が有りや無しや。ひょっとして薄く濁っているから魚が勘違いして、案外よく釣れるかもしれない。実は小学校のころ、まだ雪が残っていた川岸へ行って竿を出したら、だしぬけに15cmほどのハヤが釣れたことがあった。
ところでこの頃、釣りをする人は夏の鮎の時期ぐらいで、ふだんはあまり見かけない。田舎の状況は違うのかもしれないが、ここらあたりでは釣りをする人が減ったのか。川にはうんと魚がいるのに、太公望なんてやってる暇はない、と言うことなのか。
釣る人、と言えば、第一に開高健氏を思い浮かべる。なにしろ釣りに命をかけた、と言うか地球を股にかけて釣りをした人である。中でも釣りをしながらの南北アメリカ大陸縦断は、ひっくり返るほどのスケールのデカさで、こういう作家はもういないだろう。
その紀行を読むと、なにしろ釣れない。水温がどうの、風がどうの、まずは釣れない話が延々と続き、しかしどういうわけか最後には大モノを釣り上げる。アラスカで人の背丈ほどもあるキングサーモンを釣り上げた写真には仰天した。その人はもういない。
しかし釣りと言うのは、太古からのヒトの営みであったようだ。石器に混じって骨製の釣り針が発掘されているらしい。その頃はむろん食うためであって、遊び要素は薄かったろうと思うが、もしかしてひょっとすると、案外楽しんでいたかもしれない。
してみると、釣りは太古の昔から連綿と続いてきたヒトの楽しみだったのだろうか。なにしろマンモスを狩るより、わが身の危険は格段に少ない、そして血も流れないし、魚は叫びもしない。その上、いささかながら、狩猟本能も満たしてくれるからなあ。
『釣れますか などと文王 そばにより』
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