たまたま日記

たまにしか書かないに日記         遊びをせんとやうまれけむ   戯れせんとや・・・・

暮れの雑感


 特に、冬の夕暮れは西の空が赤く染まる。


 西の空はオレンジ色に輝くが、頭上のあたりは薄青い色になって、そして東は薄い闇が広がる。それが見ている間に、時々刻々、明るさと色合いを変化させ、見厭きることがない。
 その空を切り裂くように、真っ白に輝く飛行雲が西へと飛んでいく。あの飛行機の中には、幸せな人々がヨーロッパへの夢を抱いて乗っているんだろうな、と思う。
 夕方になるとその空を見るために、ベランダで一服する。すっかり暗くなるまで、いつまでも見ていたいけれど、だんだん体が冷えてきて部屋へ戻ってしまう。


 自然は、さりげなく毎日この空を見せてくれる。






 冬至を特別な感慨を持って見送る。


 ああ、明日からは少しずつ少しずつ、明るさが増して昼の時間が長くなるんだなあ、と嬉しくなる。なにか希望が湧いてくるようにさえ思う。
 光が乏しくそして暗くなるよりも、明るく光り満ち溢れる方が、やはり心浮き立つ思いがする。それは目に見えぬほどではあるが、ある日ふと気づくと嬉しい。
 そして、日一日と、夜明けが早くなり日没が遅くなる。そうなると、寒さももう少しの辛抱だ、と思えてもくる。


 冬至は希望が湧く日。






  いまの新年はだれがどういう意図で決めたのだろうか?
 
 新年1月1日は、冬至の翌日、または立春の翌日にした方が合理的ではないかと思う。冬至の翌日はこれから日が伸びるめでたい日だし、立春は季節を具現して春が始まる日だ。
 いずれも、これから春だという気分が横溢し、うきうきと自然に嬉しさがこみあげてくる。春はどんな文化でも待ち焦がれる対象ではないか。
 と思ったら、南半球の人が、それは聞けない話だ! と怒った。確かに! 南半球ではすべて逆なのだろうから、納得できる話ではない。


 とすると、いまの何だかよくわからない区切りで、我慢するしかないか。

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