たまたま日記

たまにしか書かないに日記         遊びをせんとやうまれけむ   戯れせんとや・・・・

狭山丘陵の北辺





 我らがサークルの12月の「歩き」は、狭山丘陵の北側を半周。今日の案内役はⅠ氏。


 なんと驚いたことに、出発地の八高線・箱根ヶ崎駅に18名も集まった。今までせいぜい10名そこそこだったのに、これはどうしたことだろう! しかも初めて参加の人が6名もいる! 魂消てしまったが、もちろんうれしい悲鳴だろう。


 ところで、多摩地方の北辺、埼玉と県境をなすこの丘陵は、どげんしてこんな場所にこんな形で残されたのだろうか? 考えてみたけれど、つまるところ分らない。web上でもその分かりやすい解説は見たことがない。
 丘陵の形成過程は分らないけれど、歩いて楽しむことはできる。低い丘陵だし、人家がすぐ近くだし、道はよく整備されているし、ひーこら息を切らせて鬼の形相で登る必要もない。だから都民と埼玉県人にとって格好の散歩道になっていることと思う。



 
 まず、駅から「円福寺」という臨済宗のお寺に行く。ここで今日の無事を祈願するつもりらしいけれど、お祈りはさておき境内で既にしてまったり。広い境内に箒目がたち、墓地募集などの看板類一切なく、とても清々しい気分になった。




 そしていよいよ狭山丘陵の中へ入っていく。といっても、ちょろっと登ったところに「瑞穂町ビューパーク」という施設があって、体育館、グランド、そして富士山を眺める展望デッキがある。真白き富士の嶺は残念ながら霞んでいた。
 このころになると、解放感も手伝ってか初対面の人たち同志、ちらちらと話し始める。比較的歳の若い女性が3名もいるから、なんとなく雰囲気が明るい。もしこれが爺様ばっかりだったら、殺伐とした冷たい空気に包まれていたに違いないのだ。




 そこから丘陵の中の道に入るわけだが、落葉のじゅうたんが敷き詰められている。かさかさ、さらさら、踏みしめて歩くのが楽しい。日ごろ、こういうことはほとんどないから、思わず童心に帰ったような気分になる。なんなら、落葉を集めて空中に放り投げ、落葉の雪を降らしてみてもよかったなあ。


 落葉の林を抜け、ちょっとした階段道を登り、低いながらもピークに達した。そこにはなんと、一等三角点があった。いくらも標高はないはずだが、一丁前のピーク然として威張っているのがおかしい。周りを囲んで「生意気になぁ」などと言っている。



 丘陵を抜け出て明るい麓の畑道を行く。こういう里山の近くの道がいいなと思う。皆さんも気分がほっとしたのか、互いおしゃべりで打ち解けあう。一日だけでの友達でも、それは歳とってなお楽しきもの。楽しいことを積み重ねられたら、この世もまんざらじゃない。



 埼玉県に入り、観音堂に立ち寄ったら、お腹が空きましてよ、という人があり、急遽予定変更、ここで昼飯となった。最も既に12時は過ぎているから、ムベなるかナであり、こういう歩きの時は早めの昼食が望ましい。それぞれご持参の弁当に舌鼓。



 すぐ近くの出雲祝神社境内に「重闢茶場碑」(重ねて開く茶場の碑)という石碑がある。近くには詳しい説明板がないので、入間市のwebサイトを引用。

向かって左側に立つ「重闢茶場碑」は、文政2年間(1819)に、地元の吉川温恭(よしずみ)と村野盛政(もりまさ)が、関東以北で初めて本格的な蒸し製煎茶の量産に成功し、山本山をはじめとする江戸の茶問屋たちと初取引を開始してから約10年後の天保3年(1832)に建碑したものである。碑文には、「州の北、河越の野に狭山あり。多磨(たま)・入間二郡に跨(また)がり、古(いにしえ)名茶を出す。(中略)文政中に逮(およ)んで、郷(ごう)の著姓村野氏盛政、吉川氏温恭、江戸山本氏徳潤(とくじゅん)と胥議(あいはか)り、重ねて場を狭山の麓に闢(ひら)き、以て数百年の廃を興さんと欲す。(後略)」とあり、河越茶以降、数百年間廃れていた茶作りを、ここ狭山丘陵の麓で復興したことを記している。題額の「重ねて闢く」とは、一度閉じられた茶作りの扉を再び開く(再開する)ことを意味しており、現在の地域ブランド銘「狭山茶」の名称も、この地に由来する。

 どおりで、ここへの道すがら、茶畑が多かった。納得!



 昼飯を仕込んだためか皆元気回復し「さいたま緑の博物館」へ行く。本来ここで昼飯の予定だったが、もう腹の中に納めてしまったので休むだけ。まあ、小さな建物があり、休憩のための椅子テーブルがある程度で、展示物などはない。求められれば、狭山丘陵に関して解説してくれる由、だが時間の関係で今回はそれもなし。看板を見て、ハイ次行こう。




 また丘陵の落葉道を歩く。まだモミジが十分鑑賞に堪える程度に残っていた。日当たりの具合などが関係してまだ赤いままなのかな、などと考えた。ともあれ、これで最後のモミジにも出会ったし、よ~しよし、というところ。



モミジの山道を抜け「比良の丘」というところを越え、枝垂れ桜が有名と言われる「金仙寺」で桜ならぬ、ここでもモミジを眺めることになった。異なことに、ここの入り口に蝋梅が早々と咲いていた。12月の蝋梅は初めて。いいのか、こんなに早くて。




 そこから狭山丘陵の早稲田大学人間科学部の脇を、山口貯水池に向かって登る。皆さんすたこら登っていくが、こちらはひ~ひ~、ぜ~ぜ~、少し休んでくれればいいのに、案内人は無情なり、弱者を顧みてくれ。案内人曰く「さぼるんじゃねえ!」



 ようやく山口貯水池(狭山湖)の堰堤に到着。いやはやお疲れ。狭山丘陵の中には水道貯水池が二つある。山口貯水池と村山貯水池(多摩湖)。二つとも東京都で水を使い、埼玉県には一滴たりともあげない。土地は埼玉県なのに。
 黄昏の気配が迫る中、黄昏ていく人が何やら説明している。背景には枯葉の森、それぞれの顔には夕日の影。人生(と、大きく出て)、黄昏が最高! あらゆるものから自由、あとはゆるゆると待つだけ、出来ればこれもゆ~っくり来てもらいたい。




 狭山湖の堰堤を下ったところに「狭山不動尊」がある。西武鉄道の堤氏が全国各地から文化財(建物を含む)をここに集めたという。(影の声:金の使い道に困ったんじゃないの)寄せ集めだけれど、なかなか見ごたえがあり。



 さて、終点の西武球場前駅は目の前。今日いちにち、皆さんのお陰で、とても和やかな雰囲気のなか楽しく歩けました。次回はお正月で休み、それで2月に玉川上水を巡る予定。寒いけれど、また元気で歩きませう。



  


 本日の歩行距離は意外と長く、約16㎞。
 疲れてへろへろになったとしても
 歩けることは・・・幸せなり。

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