上州の山々遥か芋畑

八高線に沿って遥かに高崎まで歩いたことがある。
その日はたしか、児玉から出発し随分先の高崎を目指して歩き始めた。駅を離れるとすぐに畑が渺茫と広がり、すんげえ広さを実感しながらその真ん中あたりを、たったひとり、とぼとぼと歩くのはとても気持ちが良かった。
午前の空気は澄み渡り、高崎方面の山々が屏風のように遠くに見えている。それでも、今日中にたどり着けるだろうか、などとは露も考えなかった。広々とした畑の中の道を、澄んだ空気と遮るもののない広さを味わいなながら、ただただ歩いた。
里芋の畑もあったようだ。あの意味なくドデカイ葉っぱの真ん中あたりに、朝露がまん丸くころころして、宝石の如く陽の光を反射していた。きれいなものだナ、と長い時間それを眺めていたように思う。まさか、高崎駅の8㎞も手前で陽が暮れるなんて思いもせず。
それにつけても、里芋というのは奇体な形をしている。まず葉っぱが無暗にデカすぎる。葉っぱだけ見れば、その地下に何ほど大きい根(実)があるのだろうか、と子供の頃から奇妙に思っていた。山芋などは、ほんのか細い蔓なのに中身はとんでもなく長いではないか。
里芋の根もまた厄介な代物だ。あの毛むくじゃらのような表皮に着いた泥が容易に落ちるものじゃない。そこで人間といいうのは巧いテを考えたものだが、芋車、というのがあった。隙間を開けた円筒形のものに心棒をつけただけモノ。
ただそれだけだが、これがどうしてなかなかの優れもの。円筒形の中に里芋を入れて、流れに設置し、あとは野となれ山となれ、じゃないが、放っぽらかして置く。すると水舎が回り中の芋どうしがこすれ合って、半日もすれば芋がきれいさっぱり、ぴかぴかになる。なんという巧い工夫だろうかとしみじみ感心した。
『芋粥』の主人公にそっくりで、とてもイヤだ。
.