多摩たま日誌

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「一句一ブログはボケ抑え」・・・できるかな?

野辺行けば旅情そくそく柿の里

多摩たま



 葉を落とした枝に、赤い実が点々と下がっているのは見た目にも美しい。


 それは深々とした秋を感じさせる光景であり、旅情を掻き立てる。ではあるが、余りにも柿の実がきれいで旨そうだから、一つとって食おうとすると、ときにより、とんでもないことになる。食い意地の張った奴が天罰を食らうのだ。


 道っぱたにずらりと生っている大きな柿を一つ、黙って失敬して、あんぐりと食ったとたん、口が動かなくなった。シブが口いっぱいに広がって、動かすことが出来ない。吐き出してしばらくたって、ようやく常に戻ってやっと安堵した。



 どうも見事にうまそうなのは、たいがいシブ柿なのではないかと思う。これが不思議だ。木の実はおおむね、動物に食われ、どこかに運んでもらって、そしてそこに種を落とす、というのが役目なのではないかと、こう理解していた。


 ところがこの実が死ぬほどシブいとなってみれば、人はおろか他の動物だって毛嫌いするのではないのか。とすれば、柿の実はその役目を果たせなくなり、しいては子孫をばらまくことが出来なくなり、そうして絶滅していくのではなかろうかと思う。



 ところがヒトというのは、どうしてそうして、エライもんだ。このシブをこっそり抜き取って、死ぬほどシブかったのを、それなりに甘くしてしまった。まさか柿の方ではそんなことをされるとは、思いもしなかっただろうが、ユメ人に油断したらイケナイ。


 詳しくは知らないが、シブを抜く方法が幾つかあるようだ。簡単なのは、お湯をぶっかける、というテもあるようだが、これだけでは十分以シブが抜けないらしい。そこで次に、焼酎を霧吹きで吹き付けて密閉し、それでしばらく放っておく、というのがある。


 しかし何といってもいいのは、皮をむいて日にさらす、吊るし柿だろう。農家の二階などに赤い実が数珠のようにぶらさがっているのは、見ても嬉しいし、絵にもなる。そうして出来上がった暁には、上手にできたものはとろりと柔らかく、お日様の甘さがある。



 柿食って法隆寺の鐘がなって、それがどうしたのだろう。



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