多摩たま日誌

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「一句一ブログはボケ抑え」・・・できるかな?

山路越え開けた丘は蕎麦の秋

多摩たま



 どういうわけか、蕎麦がうんと好きだ。


 昼飯は、なんなら毎日蕎麦でもいいなあ。しかし蕎麦もまた、思わず高価になってしまって、ひょいっとその辺の蕎麦屋で食う、ということが出来なくなってしまった。今どきみんなが華麗なるランチなるものを召し上がる時代だが、ビンボーなれば仕方がない。


 だから、行列のできるような、おしゃれな、ほんのちょびっとだけザルに盛ったような、そういう蕎麦屋ではなく、ありきたりの、どこ街角にもあるような、そういう蕎麦屋しか知らない。そいう蕎麦屋が自分ではいいと思っている。



 そう言う蕎麦屋は、概して東京の店が旨いように思う。まず、これはしたり、外れたり、という思いをしたことがない。それなりにどこも旨かった。蕎麦どころと言われる地方の、普通の店とほとんど変わりないようだ。


 しかしこんなことを言っておいてなんだが、実は正直なところ、蕎麦の味のどこがどうなのか、よく分からない。蕎麦の香り、とよく言うけれど、ほとんどの場合香りはほぼ感じられない。蕎麦は喉越し、なのではないかと自分では思っている。



 それでも神田の藪、浅草並木の藪など、一大決心をして行ってみたけれど、びっくり為五郎になるほどの違いは分からなかった。なんでも蕎麦粉はほぼ輸入モノ、と言われているようだからそこからしてもう、昔と大いにい違っているのかもしれない。


 蕎麦は好きだけれど、それでもって自分で蕎麦を打つ、などと考えたことはこれっぽちもない。なんだってかんだって、まずメンドクサイことが大のニガテ、粉を吟味し、水加減をはかり、寝かせ加減を考慮する、などということは考えただけで気が遠くなりそうだ。


 


 新潟のどこかの「へぎ蕎麦」、高遠の「辛み蕎麦」など思いだす。



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