多摩たま日誌

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「一句一ブログはボケ抑え」・・・できるかな?

美少女の恥じらい見せてねじり花

多摩たま



 珍しい花なのでしみじみと見てしまう。


 花の一つ一つは小さいけれど、ランみたいな形をしてなかなかのものだ。それが芝の上にすっくと立ちあがって、少女と言えど、辺りを払う気品は自ずから身についている如くである。しかし花の時期は短いようで、咲いてたちまちどこかに消えてしまうのが惜しい。


 我が野っぱら道ではあまり見かけることがない。かえって庭先の草地や公園の芝地で、思いがけなく見つけ、ああ、こんなところに! などと少なからず驚いたりする。そうして思わず見入ってしまうのだが、よく見れば美しい。



  

 この花は別名を「捩摺」(もじずり)と言ったそうだ。なんでも石の上に布を置き、この草を押し付けてねじり模様を染めたのだとか。しかし考えてみても、そんなことで布が染まるのかどうか、色褪せない模様になるのかどうか、なんだかよく分からない。


 まあ道の奥、しのぶの里にそんな伝説があったのだろうと思う。奥の細道に「早苗とる手もとや昔しのぶ摺」(芭蕉)が出ている。この時代でさえ「昔」と言っているのだから、たぶん茫々たる昔話であったのではないかと思う。




 ともあれ、どうして捩くれているのだろうか。これは当人に聞いてみないと分からないところだろうが、捩くれてなんていないわ、ただ恥ずかしさに身をよじっているだけなの、などと奥ゆかしく答えるかもしれない。


 この花を見て、根性がねじくれている、ケシカラン! と思うか、はたまた、美少女の俤を秘めていると見るか。どうせなら印象美しき方を選びたい。そう想って見るなら、芝草の上に凛として咲いている、と見えなくもない。


 花みるこころはその人の鏡。



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山里は閑か沢の音桐の花

多摩たま



 桐の花は目立たずひっそりしている。


 これは、滅多に見られる木ではないし、花は枝の上の方に咲くから目立たない。ゆえにひっそりと咲いている、という感じ受けるのかもしれない。昔は有用な木として、そこいらの里で普通に見られたらしいけれど、何しろ今や箪笥が滅んで久しい。


 しかしながら、この花を近くで見ることが出来れば、なかなかどうして典雅な花だと思う。ラッパ型の薄紫色の花びらは、その色、形ともにある種の気品さえ備えている。桃や桜のように、爆発的に咲くのではないから目立たないが、言ってみれば相当の美人なのだ。




 谷深い山里を歩いていて、狭い台地の上に、この花を見たことがある。高い木だからむろん遠望であったが、紫の花が霞のようにけぶり、その奥に赤や青に塗られた民家の屋根が点在し、遠くの山が青紫に染められて、絵を見るようであった。


 佇んでいると、近くの新緑の山からカッコウの音が響き、ローカル線の一両が森蔭を音もなく通り過ぎた。見おろす川面はゆったりと緑色の水をたたえて、流れるともなく流れ、午後の陽が止まったように照っているばかり。



 

 娘が生まれたら、昔はこの木を一本植えたものだという。成長が速いので、娘が成人するころに、この木で箪笥を作り嫁入り道具に持たせてやると言う。その密やかな親心は、なんともゆかしく胸に沁みる。


 娘でない身に身近なのは下駄。なにしろ下駄がまだ幅を利かせていた子供時代、上等な下駄はこの木で作った。むろん子供の下駄はこれではなかったが、長じてのち、老母が和服と桐の下駄を送ってくれたことがある。洋服入れのどこかに今も眠っているはずだが・・・



 世の中に目立たなくともこれは桐。

なにもせず連休過ぎて風薫る

多摩たま



 この連休もみすみす過ぎてしまった


 何かしようと思っても、なにしろまず先立つものは「メンドクサイ」である。どこかへ出かけようかと、行く先やルートを思い浮かべるや否や、人が多いだろうナとか、あそこはちょっと遠いナとか、そういうことが浮かんできて、ああ、めんどくせえなとなっちゃう。


 昔は考えるより先に走り出す方だったが、この頃はなにより先に、面倒くさいなア、である。たとえ絶好の季節であっても、風が薫ると言えども、このメンドクサイには勝てない。いつからこうなっちまったのか、困ったことである。




 いつだったか、縁があって、この季節に都の水道水源を訪ねる機会があった。奥多摩のさらに奥の山に案内してもらった。水道局の人が5,6人、引っ付き虫の我ら3人は、一体どんなところだろうと、不安と期待を半々に後に従った。


 車を降りて、まずびっくりしたのは、一本レールのかぼそい乗り物。10人もの人と荷を乗せて、後ろにひっくり返るほどの急斜面をゴンゴンと苦も無く登ってしまう。降りてから山道に懸かり、谷の向こうの山を見て息を呑んだ。


 山肌を埋め尽くした樹木が、濃い緑、淡い緑の芽吹きを湧きあがらせ、まるで緑の錦あやなすが如くである。手前の三つ葉躑躅が鮮やかに咲いて、こんなに美しい山をこれまで目にしたことがない。うわ~~っと言ったまま言葉が出てこない。



  

 頭上には、芽吹いたばかりのブナの若葉がきらきらと陽を照り返し、晴れた空に薄い雲が流れてゆく。周り中を初々しい若葉と躑躅に囲まれて、汗拭きながら山道を登った。登り切って雲取山への登山道が林の中にうっすらと見えた。


 その後、頂上近くの草原で、春風に吹かれながらの握り飯は殊に旨かった。休憩してから、樹木の切り払われた幅広い草原で、みんなが夢中になって蕨を摘んだ。帰りの、杉林を透かして見た、目がパチクリしそうな麓の若葉の鮮やかさも忘れ難い。




 こんな連休ならめんどくさくない。