
夕方の空に浮かびあがる牡丹はなぜかきれいだ。
城址公園を散歩していてそんな経験をした。もう夕方近かったが、細い道をぶらぶら公園の中に入っていって、昔の屋敷跡を見たり、芭蕉の句碑の前で佇んだり、小学校のグランドを眺めたりしながら奥へ歩いた。
薄暗くなり始めた森の陰に、大きな構えのお寺があったので入ってみると、その庭のひと隅に牡丹が数株、折からの夕空に浮かび上がるように咲いていた。とてもきれいに見えて、思わず立ち止まった。昼の陽ざしで見るよりも美しいと感じた。
ちょうど牡丹の盛りの時期だったかもしれないが、旅の途中の夕ぐれの、こころ寂しい思いにぴたりと嵌まったしまったようだ。暮れてゆく夕空に急かされる気持ちが募って、この時の牡丹がことのほか美しく感じたのかもしれない。
旅の途中の夕暮れは、どこに居ても、なにがしかこころ細い気持ちになる。一刻も早く我が栖で安心したい気持ちが沸き上がって来る。これはあながち、精神が軟弱なためばかりではなく、遠いとおい古代の、夜に対する不安が蘇ってくるためかもしれない。
牡丹の花は一見すると蝋細工のように見える。迂闊に触るとぱりんと割れてしまうように見える。だから、なんだか手を伸ばすのがためらわれる。しかしよくよく見れば、花びらは紙のようにとても薄いけれど柔軟で、決して割れてしまうようなことはない。
植物はか弱そうに見えるが、どうしてどうして、花にしろ葉にしろ恐ろしく強靭でしたたかだ。そうでなくては、むろんこの世界に生き残っていけない。そのしたたかさが身についていないから、世の荒波にくちゃくちゃになってしまった。
植物に見習えこの生を。
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