たまたま日記

たまにしか書かないに日記         遊びをせんとやうまれけむ   戯れせんとや・・・・

暇にまかせて



 普段から暇だけれど、ことに冬は表に出る機会が少ないので死ぬほど暇なのだ。


 で、本箱の奥から、ぼろぼろの、埃だらけの、大昔の文庫本を引っ張り出してきて、ゴロゴロ寝転びながら、読むともなく、見るともなくぼんやりとページを追うこととなる。暇を持て余すにもほどがある。


 今回は、開高健の『オーパ、オーパ!!』。埃を払って、その壮大な、果てしなき、誇大妄想のような釣り紀行を眺めた。何度も読み返しているのではあるが、持て余した暇を後ろの方へ押しやるには、特別の筋立てがないのが都合がいい。






 最初は、ベーリング海の孤島のオヒョウ釣りの話。
 この黒く、おぞましい化け物のようなヒラメが生息するのはアラスカの沖合の、暗い、寒い、強風の吹き荒れるベーリング海に浮かぶ、住民総数150人のセントジョージ島。その絶海の孤島の様な島へ、辻料理学校の教授、雑誌社の編集委員とともに乗り込んだ。


 開高健氏の釣り紀行は、単に釣れたの釣れなかったの、だけでは当然ない。その場所の風景と気象、風土と歴史、住民の横顔、現地での日々、目と耳にしたそれらが自在に織りなされ、ユーモアたっぷりの文章で綴られる。だから何度読んでも楽しい。



 それによれば、このアリューシャン列島には、太古の昔、シベリアから渡ったモンゴロイドの末裔が住む。住民のほとんどはアリュート族と呼ばれが、顔つきはアジア顔、ロシア顔、アングロサクソン顔、および混合顔、さまざまであり、目くるめくような歳月はすべてを混ぜこぜしにしちゃたらしい。


 まる一日晴れ切る日は年に三日もない、と言われる島の気候は、毎日まいにち悪魔の叫びにも似た強風、びしゃびしゃと骨に食い込む氷雨、昼日中なのに鼻の先も見えない濃霧だそうだが、少し誇張(氏は釣り師であり、ほら吹き男爵であると自から言う)であるにせよ、まったくヒトは何処にでも住んでしまうものだと感嘆せずにはいられない。


 産業らしきものは何もないから、若者は島から出て行って帰らない。残っている者は魚やオットセイやカニやウニ(溢れ返る程住んでいる)を売ったり、補助金をもらったりして細々と、しかしながら屈託なく明るく生きている。ちなみに日本で食す「白身魚のフライ」というのは、このオヒョウの肉であるらしく、この海は極めて豊穣らしい。


 こういう説明を読んで、ではここへ旅してみたいか、と言われれば、もぐもぐ口ごもってしまうけれど、ヒトは何処にでも住むなあ、住めば慣れてしまうものだなあ、と驚嘆し、そして遠くを見つめて、世界は広いなあ、と呆然とする。


 氏の釣り紀行、それも壮大、広大、無辺際、度肝を抜くような旅の記録を読んで、いつも思うのは、この「世界は広いなあ!」という子供じみた感慨。海外に出たことがなく、それで生涯を終わりそうな者にとっては、こういう本で世界の一片を知る。




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 次はアンカレッジ、キーナイ河のキングサーモン。
 6月の晴れ渡った空の下に、ピリピリするような新鮮な大気が満ち、この川の河口には、ありとあるサケ類が結集して遡上を開始する。全USAと全カナダの釣り狂たちが、ひとシーズンに20万人も集まって、我も我もと釣りにかかるのだそうだ。


 ところが釣れるサケの方は8千匹ほどであり、つまるところ19.2万人は手ぶらとなる勘定、さらに一人2匹までと厳格に定められているから、まったく釣れない人は更にさらに増える、という按排らしい。なんともはや!


 人々はアルミのボートに分乗し、上流から下流へゆるゆると流されながら竿を振って投げちゃ引き、引いちゃ投げを飽くことなく繰り返し、それでほんの少しばかりの人にヒットし、ほとんどの人はガックシと首うなだれて帰る羽目になるという。なぜだか分からないが、女性に釣れ男に釣れないんだとか! 女は何処でも強い!


 氏は粘りに粘り、遂にイルカほどもある、でっぷりと太った、飛んでもないような巨体のキングを釣り上げたが、まだまだ化け物じみた信じ難いような巨魚もいるそうだ。日本で見るサケを、あれをサケだと思ったら偏見であるそしりは避(サケ)けられない。 






 この後氏は、河口のフィヨルドの、あるかないかわからない浜辺の、流木ハウスに逗留する。ひとりのアラスカの若者が世界中をヒッピった挙句にここへ辿り着き、流木を集めて独力で建てた小屋が、太古以来の原生林の中にあるだけで、これ以外は何もない。ところが何もないと思われるこの海辺が豊穣そのものなのだ。


 ある日バケツ一杯の水を浜辺にぶちまけて砂を流してみると、ラグビーボールほどもあろうかというハマグリがザクザク。どこへでも水をぶっかけてみればザクザク。ひょいひょいいくら拾ってもザクザク。


 ごろた岩の陰に回ってみれば、ムール貝がびっしり。引き剥がしても引き剥がしてもびっしり。ぶっくれたようなカニ籠を海に放り投げておけば、毛ガニのような大ぶりのカニがわらわら、わらわら。海に糸を垂らせばカジカ、ヒラメ、その他そのた・・・手つかずの、ヒトが来る前の、史前紀の豊穣さ。



 
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 次はわれらがアジア、モンゴルでのイトウ釣り。
 モンゴルは緑の草原だけではない、谷もあれば岡もあり、大きな川さえ流れているとは知らなかった、見よこの大河? しかし今回ここでは、雨が降ったりして条件悪く、何日も粘って90cmのイトウをようやく一匹釣り上げただけ、だと。


 遊牧民が住むゲルにも暮らしてみるが、これには台所も手洗いも便所も何もかも無い!
丸いテントの中央にルンペンストーブ1個、寝台が幾つか、ほかに家具らしきもの一切無い、無いったら無い! ヒトはこれでも十二分に生きていけるんだよなあ! 断捨離の極致? 「生きる」に必要なものは、身の回りの諸々の工業製品でもなく、溢れかえりこぼれるばかりの情報でもなさそうだ、とほろ苦く思う。





 開高健氏はちょっと足を延ばしてスリランカへ。
 ほろりとインドが落とした涙、これはインド悲願の独立の喜びか、はたまたインドから追い落とされた人々の悲しみか。かってのセイロン、独立してスリランカ。ここには宝石、茶、宗教、そして貧が混然として。


 宝石は低地の田んぼの中から、あくまでも手作業で、笊を使って、ひと籠ひと籠づつ原石を見つけ出す、まあ、旧式露天掘り。痩せこけて、ふんどし一丁の男たちが田んぼの泥を引っ掻き回して6,7mの穴を掘り、その穴の底に潜り込んでひと笊掬っちゃあ上に運んで泥田の中でざぶざぶ洗って、原石を見つけ出す。毎日々々泥だらけ汗まみれ垢まみれ。


 原石が出てくれば、青空市場にもっていってバイヤーに買いたたかれ、しかしちょっと大きいものは人知れず闇を抜けてマフィアの屋敷の奥深くの金庫へ。この屋敷の金庫には、目をむくような大粒がゴロゴロじゃかじゃか、それを見て氏も卒倒しそうになる。


 宝石などは、生涯に亘って縁もなければ、よしみもあろう筈もないから、ふ~~んと言って澄ましていられるけれど、こう見てくると、数知れぬ男たちの泥まみれ、汗まみれ、貧乏まみれの、その頂点に女が嫣然と微笑んでいあるのだな、と思い知らされる。


 金にしろ、ダイアにしろ、毛皮にしろ、無数の男たちの汗と労働と騙しあいと殺し合いの果てに、これらのことに全く係らない、まったく知らん顔の、女たちが優雅に、やさしく微笑んで、その上前をかっさらっていく。地上最強の女たちよ。



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 開高健氏はこの『オーパ、オーパ!!』の数年前に、アラスカから南米フェゴ島まで、釣竿片手に一気通貫、5万㎞の旅を敢行している。知識人で、中年でこういう冒険的な気宇壮大な旅を実行する人を、ほかに知らない。


 見て、聞いて、唸ったその先に、
 いったい何があるのだろう。
 「無!」だろうか。

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