'19の記憶ー信越駆け巡り②
八海山の里から良寛の里へ、そして信州。
手毬つく ひふみよいむな 汝がつけば 吾はうたひ
吾がつけば 汝はうたひ つきて唄ひて 霞立つ
・・・てなわけで、良寛様の里へ行ったのだが、その前にちょっと・・・
八海山の麓の里を歩きまわって陽が暮れてきた。今夜はどこぞで寝なくてはいけない、ということで十日町へ行った。この街は思うだに寂しそうな町だし、当てなくさすらう爺さんにはもってこいではないか。
夕暮れの十日町をふらふら歩いてみた。西の山の端に沈む夕日が、淋しく家々の屋根を照らし、女子中学生がひとり、夕日の影に遠ざかっていく。薄暗くなって繁華街らしきところをさ迷った。
火が灯ってもなお薄暗い通りに人影はなく、車の往来もほとんどない。一軒の居酒屋に入る。客はいない。日本酒を飲んでみたが、淋しくって仕方がないから店を変えた。今度はおばさんたちが5,6人、忙しそうに働いていて、この土地の名物はなに? と聞くと即座に「雪!」と答えた。侘しくて寂しい十日町の夜、なんとも言えぬこころよさ。
翌日、山を越えて柏崎へ出、広くて車の少ない道路をわんわん飛ばして出雲崎に至る。海岸近くに良寛記念館、が、当然朝っぱらだから閉まっている。そこから崖っぷちの急な階段を下りて、海岸に出た。
崖下の砂浜のような場所に小さな家がびっしりと並んでいる。こんな所に昔から人々が住んでいたのだろうか? それにしてはあまりにも土地が狭く、津波など来た日にゃあ、ひとたまりもなさそうだ。晴れ渡った海のかなたに、佐渡島が青く霞んでいる。
家々の間の細道を歩いてみる。当然の如くにして人影も車影もない。ひっそりかんとして、晩春の陽が明るく家々を照らすのみ。派手な看板や店飾り、そういったものが一切ないので、歩いていて大変気持ちがいい。
その一角にあった。良寛生誕の地。敷地が公園の如く整備され、正面の御堂の向こうにに、青い海と青い空が広がっている。相当な昔のことだが、国上山の、復元された良寛の庵を尋ねたことがある。その庵の徹底した簡素と、余りにも貧し気な室内に息をのんだ覚えがある。
御堂の先へ廻ると、台座の上の良寛さんが黙って海を見ていた。見つめる彼方は、母の郷、佐渡島であろうか、うっすらと青く平らに横たわっている。死ぬまでこの生家に住むことはなかったのだろう良寛の背は、心なしか寂しそうに見える。
良寛は、「禅のこころ」を生ききった人だと思う。禅の修行をするあまたの僧はいるし、禅を語るあまたの学者先生もいる。しかし、生涯を通じて禅の神髄を実際に生きた人はいたのだろうか。
「禅の神髄を具現して生きる」ことは、特別な才能、特別な体験を持たない普通の人間にも可能なことなのかもしれない。しかしそれには、特別ななにかが無くても、特別強靭な精神力が必要ではなかろうか。だから普通の人間には難しい。だから良寛に興味がある。
良寛の里を後にして、海岸沿いの道路を、ただひたすらに南西へ向かった。刈羽原発の脇をかすめ、柏崎の海岸線を走り、遥かに雪の山を見、上越市の街並を過ぎ、やみくもに走り続けて糸魚川に至る。
しばし休憩してコンビニ握飯などをしたためた後、今度は姫川に沿ってひたすら南下、トンネルまたトンネル、またまたトンネルを抜け、小谷の道の駅、深山の湯にどぼん! そそくさと上がって、白馬に達する。
白馬村の残雪の山の、あまりにも神々しさ、美しさに、ぼ~~うっと頭が霞み、なんてえ所なんだと思ってしまう。白馬、冬、八方尾根にスキーに来たこと幾度としれず、なれどそのときはどこもかしこも真白けの白、こんな荘厳な景色は見られなかった。
いちにち、白馬村を歩き回ってみたい、と思った。歩き回ればよかったと後悔している。このときは、家に帰る、という頭ばかりで、あたら機会を逃した。慙愧に耐えない。こういう小っちぇえ心では、あて無し旅などできねえなあ!
白馬から一気に自宅へ帰り、こんな案配で「駆け巡り」は終わった。
またどこかに行きたい、とひたすら思う。
のろのろと、貧乏くさく、しかしこころ豊かに。