たまたま日記

たまにしか書かないに日記         遊びをせんとやうまれけむ   戯れせんとや・・・・

'19の記憶ー信越駆け巡り①

 振り返ってみれば、やはり信越を駆け巡った印象が深い。



 
 三国峠山中・・・5月末、高速を使わないで国道をひた走ったのだが、のろのろを覚悟したものの意外やすんなりと北関東の街々を通過した。沼田を過ぎて利根川の支流、赤谷川の谷筋に点在する里に入ると、陽光に照らされた目の前の山や田んぼが美しかった。


 峠に入るとたまにトラックなどが行き交うだけで、人の生活の気配が全く消えてしまい、寂しいような、せいせいしたような、ほっとしたような気分を味わった。山は新緑が湧立つように萌え盛り、車さえ来なければ深々と静寂に包まれる。




 短いトンネルを抜け、だらだらと坂を下ると、そこは残雪の山が輝く土地であった。もしかしてあの山が八海山だろうか。実は八海山の麓をふらふら歩いてみたくてここまで来たのだ。なんだか胸が高鳴る。


 八海山の麓の里、城内に生まれ育った人が、ふるさとの風景を描いてウェブに投稿していた。なにかでたまたまその絵を見つけ、慈しむように描かれたその風景にいたく心を奪われてしまった。歳月は過ぎて行ったが、描かれた場所は描かれた如く残されているらしい。その場所に立ってみたいと思う。




  

 と、その前に六日町へちょっと立寄りたい。ここは『北越雪譜』の鈴木牧之爺様のふるさと、爺様にいささかの敬意を表したい。六日町駅近くに牧之記念館がある。雪国の生活道具などを展示してある館内を、幽霊が過ぎ去るように流し観て表に出た。




 町の一角に昔の宿場の家並みを模した、近年造られた商店が並んでいる。街並みが青空と白雲に照り映えとても美しい景観を見せている。しかしシーズンの外れだからか、人影がない。ちょうど昼の時間なので食堂を探したが、休業であった。ぐすん、涙!


 止むを得なければ仕方がないから、そろそろ八海山の麓へ行こうと思う。スマートフォン地図を見ていたら、八海神社のすぐ傍に蕎麦屋がある(傍の蕎麦屋)。電話してみると営業してるという。やれ助かった、ではおもむろに行くとするか。





 秀麗な八海山が目の前に迫る。山の上に雲が広がったが、美しい稜線はくっきりと空を限っている。青く沈む山肌の谷々に残る残雪がくっきりと浮かび上がり、手前の山の緑とコントラストを作る。うーむ、神の山と言われても納得できるなあ。




  

 八海山神社は意外と小じんまりした社だが、すっきりとして杉の古木の中に立つ。様々な石碑や石仏に囲まれて、信仰深い神社なのだろう。神社の前に蕎麦屋さん、電話したのでほかに客がいないが用意して待っていてくれた。ありがたや。蕎麦は新潟名物海藻入りのつるつる、しこしこ、旨いねえ。



 さて、以下は件の絵と現地写真のマッチング。果たして描かれた当時を彷彿できるだろうか。できなければ、ひとえに写真の腕が悪いちゅうことで、ひとつよしなに。




(上五浦橋・橋向の正面建物ー女の子はいなかったけれど)




(五浦集落・正面建物をもう少しアップすればよかったなあ。板壁と白壁の絶妙)





 (石上神社とその内部・長押の上の写真はそのまんま。若かりし上皇、皇后さま)





(八海山の眺め・八海山の形は写真のごとき正確さ。うーむ)




(宇田沢川上流を望む・花がなくて家があるけど、彷彿)





(おんじいと少年・この少年はこの絵を描いた人の子供時代だろうか)






(雷伝様とその湧水・バシャバシャと流れ出る湧き水、その旨きこと!)





(妙音寺・どこも変わっていないねえ)




(最後に八海神社・手前の石仏などを入れて撮ればよかったなあ、と今頃になって)




 さて、八海山の麓は十二分に楽しんだ。


 これから良寛の里へ行くのだけれど、


 いったん終了。

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