たまたま日記

たまにしか書かないに日記         遊びをせんとやうまれけむ   戯れせんとや・・・・

青梅の細道・右左


 春になったら旧青梅街道を歩くのだが道順がうろ覚え、確認しなくちゃあ! なのだ。






 青梅駅で降りて最初に七兵衛地蔵に行くのだけれど、ほい どこだったかなあ! もう迷ってしまった。やれやれ、それじゃ省略して次は?




 枝垂れ桜がすんげえ! という梅岩寺。そんなところへ冬に来てどうするのだ。ま、俤だけでも。この桜のどこがそんなに、すごいのかよく分からないけれど、本番の時でもたぶん咲いてはいないな。そのときぁ蕾でも見るさ。





 梅岩寺を出て、青梅宿の面影を残す青梅街道(旧青梅街道でもある)を多摩川の流れの上流へ向かう。古い家並みがいささかでも残っていて宿場だった面影が偲ばれる。そんなものを偲んでどうだというのだ。いえいえ、そのォ。





 街道筋に旧家だって残っている。旧稲葉さんち。宿場の町年寄りを務めた豪商。通りに面した店は倉造。土間に置いてある車長持はどっしりと存在感を主張していて、裏手の3階建て土蔵はあまり例を見ない豪壮なもの。





 宿場の街並を過ぎるあたりに金剛寺。いかにもな古刹という構え。山門は桃山時代の建築様式とかで、都指定文化財。境内に青梅の地名由来と言われる梅の古木が一本、時が来ても熟さず青いままだというが、果たして本当か。





 その近くに森下陣屋の跡地。八王子代官所の出張所みたいなものか。いまは跡地に熊野神社を祀るのみ。家康入府に伴って直轄領支配のため設置されたというが、早くも1745年に廃止、このころには世の中平和になったんだろうね、たぶん。





 ここから先、ちょろっと道が曲がって裏宿と呼ばれる。その街道沿いに七兵衛公園。七兵衛さんはこの地に生まれた農民だけれど、義賊であって、盗みを働いて貧しき人々に施しをしたという。彼は、青梅駅近くで地蔵様になっておられ、ここでは公園まで作られてご供養されている。この話は単なる説話か、はたまた火のあるところの煙か。





 しばらく行くと旧街道は現街道と別れ、多摩川近くへと細道に入っていく。山々はもうすぐ冬支度の案配。旧道は途端に静かになって、温かいひだまりにぬくもっている。道端の草がまだ青い。旧街道だから上ったり下ったりしつつ続く。





 多摩川の岸辺近くに日向和田臨川庭園。青梅の代議士、津雲氏の別荘だったが寄贈されて今は市の管理。白壁の建物はお茶室。掃除のおじさんが一人。「ここは梅がええ。3月初め頃来られる? じゃあ、ちっとばぁ満開にゃ早いだんべ」





 いちど新街道に突き当たってすぐまた旧道に入る。静かな細道が新街道と並行して続く。なんだか空模様は怪しいが、気温が高いから春の雨模様みたいだ。これから2、3ヶ月のさぶ~い期間をおろ抜いちゃって、すぐに春でもオレはいいけどナ。





 旧街道の細道は、再び新街道に合流する。そこに、へそまんじゅう屋さん、裏は多摩川。この場所に、昔、萬年橋が架けられていたそうだ。饅頭屋さんの向こうにその説明板だけが残っている。流水に橋が流されないように、両岸から丸太を幾重か突き出して架橋したらしい。大月の猿橋のようなものだったのだろうと想像する。





 ほかに道なければ、しばらくは新街道を歩むによしなけれ。歩道の整備しあれば、車ぶんぶんの恐怖いささか減じたりと言えど、おもしろくなきこと甚だし。歩く人これなければ、いと寂しく、わずかに道野辺の古仏、花に慰められたり。





 再び山際の旧道、海禅寺みちをゆくに、陽差し現れ、あたりの木々輝くばかりなり。閑々として静寂、山の端の紅葉は茶色に枯れゆくとも、旧街道の風情いや増して、うれしきかな初秋の日差し、楽しきかなぽくぽく歩き、。 
 かくのごとき道をかく歩くは無上の喜びなり。人通りこれ無きと言えど、民家の庭、あるいは畑に日々の暮らし、かいま見る心地ぞする。連綿たる人の暮らしを思えば、喜び悲しみ幾重にも重なりたる、街道なるや。





 旧街道を楽しみて歩くほどに海禅寺に至れり。季節の花とりどりに咲ける境域は都の指定史跡なる由。またこの地の豪族、三田氏の保護厚かりきといふ。山の辺の葉影の裏に三田氏四代の御霊を祀れる宝篋印塔の見ゆ。
 静かなる境内に佇めば、裏山より小鳥のさえずり聞こえ、憂き世を離れたる心地するも、ときは休みなく流れて淀みなし。こうしちゃおれぬ、夕刻までには目的地へ到達せざるべからずと、先をのみ急きたてられけり。




 新街道に出たり旧街道に引っ込んだりしつつ、軍畑駅近くまで来た。この辺りの出たり引っ込んだりが、なんとも記憶怪しげだったので今回、確認のために来たのだけれど、今覚えていても3歩あるけば忘れるからなあ! 空が晴れて気分上々、体力充実、ただ懐は寂し。





 いったん鎌倉街道と言われる道へ出て、青梅線の鉄橋下を通る。この鉄橋を密かに「青梅の余部」と言うておる。鉄骨が改修される前は、より複雑怪奇なる骨組みであったが、なんだかすっきりしてしまった。残念なり。





 新街道に出る手前に鎧塚というのがある。戦国時代、この地の領主三田氏が山上の辛垣城にて北条氏照に敗れ、その戦いの戦死者の武具などを埋めて塚としたそうだ。この地がその戦場となったので地名は軍畑。夏草や兵どもの夢の跡、でんな。





 さてここからは多摩川ぶちの遊歩道を歩く積りなのだが、果たして台風の被害受けざりしや。ちょうどいい具合に犬を連れた、ボールのような丸顔のおばさんが通りかかったので聞いてみた。「それがダメなのよ、テープで通せんぼしてあるわ、ははは・・・」
 止むを得なければ即ち仕方がない。別な道を行くとして、ゴールの澤乃井ガーデンは果たして無事なるや。「あそこがダメだって聞いてないけど。この先から山側に裏道があるわヨ」というわけで山側の細道に入る。





 ほどなくしてゴールの澤乃井酒造到着 2:15、岸辺の澤乃井園もめでたく無事なようで、やれやれと思う。まずはまずは、利き酒の建物に入る。カウンターの中のおばさんが、通常の半分ほどの利き酒用猪口に注いでくれる。200円。





 利き酒は15種類の味の異なる日本酒が用意してある。一杯200円~500円で、なんと追加は100円也。乾きもののおつまみの袋、100円、200円。新酒を注いでもらった。ぐびり、疲れているので効きそうだ。つまみは蓮根の辛し素揚げ、ぱりぱり。
 おばさんグループ1、高齢の家族連れ1、外国人(白人系)青年5人グループ1、が銘々のテーブルで飲んでいる。午後の陽が燦々と差し込み、暖かくてほんわかしてきた。が、1杯飲めば2杯となり、5杯も試飲して異なる味を賞味す。これで千円也。酔った。
 ガーデンを見下ろせば平日のことで閑散、テーブルについている人はいないが、多摩川の流れを見下ろす東屋には、酒の瓶を抱えた人がちらりほらり。多摩川の流れは緑色の薄い濁りを見せて、悠然と流れ下っている。





 駅のホームで電車を待っていたら、件の外人グループもいた。ふらふらと近寄って、山のごとき大男たちに囲まれ、「汝らは何しにここへ来たのであるか?」「オオ、サケ(酒)ね、英語話すか? 」と聞くから、日本語オンリイだ、と答える。
 何しろ酔っているから何をしでかすか分ったものではない。ここは日本である。外国語など使って堪るか(話せないけど)。デカイやつが携帯の通訳機能を使ったから、隣の妙齢の金髪女性は美人である、と言ったら、どういうわけか大受けした。
 「汝らはこれからどこさ行くのか?」「フッサ」「なら、汝らはアメリカ軍なりや?」「オオ、イエース」 何しろ酔っているから何をしでかすか分ったものではない。「日本の酒の味は如何なりや?」「グッド」「ちょっとね」



 
 ちょうど電車がきた。大男たちと別れて、小さな酔っ払い爺は乗り込む。


 周りの日本人の視線が背中を突き刺したように思った。


 本日の歩行距離、約12㎞。さて、どこにも引っかからずに帰るとするか。

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