多摩たま日誌

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「一句一ブログはボケ抑え」・・・できるかな?

風やんで時まで止まる春の宵

多摩たま



 辺りは閑々として動くものなし。


 永い春の日がようやく暮れようとする刹那、風が止まり周りがコソとも動ない。そんなときに時間まで動くのを止めてしまったような感じを受ける(自分だけかなア)。毎年そういう感覚に陥り、しかもそれが春の宵だけなのだ(自分だけかなア)。


 ともあれ、桜が散って怒涛の春の狂騒はひとまず沈静化したようだ。もっともこの感覚は暇すぎる隠居の身だから抱く想いだろう。世の中の人は、えっ! もう散ったの、ろくに見もしなかったなあ!! が普通かもしれない。



 桜が終わったからと言って、ハイ、春はもう終わりネ! というわけでは、むろん無い。これから咲く花も死ぬほどある。花の春はもう少し続くのだが、同時に新緑がことのほか美しくなる。山肌をパッチワークのように埋め尽くす淡淡とした緑は言わんかたなしだ。


 さりながら、これもまたいつまでも続くわけでは決してない。あっ、ああ、あわわわ、と言ってい入るうちに緑がどんどん濃くなって、山肌一面べた~っと一色となって消えてゆく。見ていたい景色はちょっとだけ現れては消えてゆく。



 なにものも、生まれたての美しさ、可愛らしさはほんの一瞬であって、たちまち日を追うように育ち、成長を遂げ、美しさも愛らしさも、どこかに紛れて目立たなくなるらしい。それが生きとし生きるものの定めであるらしい。


 もう少しの間、初々しさ美しさが長続きしてもよいだろうに、と思うのは多分に身勝手、非常識なのだろう。生命というものは、実に巧妙にできているらしく、初々しさがたちまち消えてゆくのには、生命としての深い事情があるに違いないのだ。



 新緑に染まって歩きたい。

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