たまたま日記

たまにしか書かないに日記         遊びをせんとやうまれけむ   戯れせんとや・・・・

まるごと稲城②


 稲城市の三沢川のほとりを歩いている。


 昼飯に蕎麦をしたため、酒なども少しきこしめして、春風のように温かい風に吹かれて三沢川に突き当たった。土手が草原で覆われた小公園がある。陽ざしがいっぱいに射して、向こうの方で誰かが和んでいる。





 近寄ってみたら、おむつを穿いた可愛い坊やが3人、それを見守る若いお母さんが3人、坊やたちは水の中を歩き回ったり草原を駆け回ったり、ここを先途と遊びまわっている。春の陽ざしと坊やたちの元気さとに惹かれ、草の上に座ってこちらも小休止。


 こんな元気な幼い子を、そしてそれをゆったりと見守っている若いお母さんたちを、身近に見たのは初めてかもしれない。そんなことしちゃダメ! 危ないからダメ! で子供たちをガンジガラメにしがちな時代、いい光景に出会えたなあ。






 上流へ行くとカワウとシラサギと鯉が協議中であった。シラサギ「あら、カワウさん、あなたずいぶん汚らしいわね」 カワウ「バカ言うもんでねえ、おめえみてえな真っ白は出来損ねぇて言うだよ、ホモサピエンスだって見てみろし、色が着いている方が当たりめえで、白いのは傍流でねえだか」 鯉「おい、おめえら、知らん顔してそっぽを向いて、俺らを油断させ、いきなりパクリと来る気だな、その手にゃあ乗らねえよ」





 三沢川の両岸は桜並木の遊歩道、その時期にはさぞやと思われるが、染井吉野の並木は全国にげっぷが出るほどあるのだから、どこぞに山桜の並木などないものだろうか。山桜の薄桃色が延々と連なるさまを一度見てみたい。





 暖かい微風の中、三沢川の遊歩道を歩く。左右は住宅地で見るべきものとてなさそうだが、川面を覗き込んだり、川沿いの公園のベンチで一服したり、退屈はしない。春の如き日差しをあびる昼下がりは、ゆったりぽくぽく行くのがいい。


 稲城駅の近くまで来て、線路をくぐって南側の斜面に入る。丘陵の麓に妙見寺と妙見尊と、同名のお寺と神社があるはず。妙見というのは北極星をお祀りするものだと聞いたことがあるが、お寺と神社とが揃っているというのは妙だ。行ってみるべし。




 線路際から少し入った森の中に妙見寺があった。寺の門手前の丘陵脇に鳥居があって「妙見尊」の額が掛り、奥はすぐに急な上り坂になっている。まずは門をくぐってお寺へ入る。見たところ普通のお寺だが、「北辰妙見」の旗がある。境内の一角に階段があるので登ってみたら、さっきの鳥居から続く階段の途中に出た。


  



 階段を上り詰めてみると、少し広くなっていて、門と小さな鳥居がある。その奥にまた階段が続いている。奥に続く階段を見てがっくしきた。上り坂を最も忌み嫌うものであり、逃げ出したくなったが、ここまでやっとこさ登って、それが無になるのは更に嫌だ。


 ひーひー、ぜいぜい、休みながら立ち止まりながら階段を上る。登ってやれやれと思う間もなく、さらに急な階段が無情にも奥に続いているではないか。むむ、おーし、こうなればヤケだ、階段だろうが鉄砲だろうが、持って来い、こんにゃろメ!


  



 へろへろ、くたくた、やっとのこと社殿に着いた。日の出町の妙見宮はたしか青丹の極彩色だったが、この社殿は至って簡素、質朴。賽銭箱に「北辰妙見尊」の文字。説明板によれば、「蛇より行事」というのがあり、茅で作った大蛇を、社殿から階段を伝って先ほどの二の鳥居まで安置するお祀りがあるらしい。都指定無形文化財とのこと。


 また、この行事に際して麓の妙見寺の僧侶が読経するともいう。つまり、ここは神も仏もごちゃまぜの世界らしい。これは、我が民族、多神教の良い面なのではあるまいか?
もし一神教の世界ならば、神と仏は互いにいがみ合って止まるところなき抗争になるのではないか? 神だって仏だって、仲良きことはよきことなのだ、たぶん。






 いやはや、階段はきつかった。妙見寺入口まで戻ると「めぐみの里」という案内板が目に付いた。どうやら公園らしいから、先ほどの苦しさをころッと忘れて丘陵の中へとまた登ってみた。どうも懲りないらしい。


 だらだら坂を登っていくと、丘陵が切り開かれ畑地が現れた。これが「めぐみの里」なんだろうか。看板は見当たらなかったし、まだ奥になにかあるのだろうか。だらだら道はだらだらと登って続いている。どこまで行ってもだらだら登りは続いている。





 いいかげん嫌になった頃、脇に細道が見える。入っていったら畑に人がいた。今来た道はすぐそこで行き止まりだあ、平地に下りるにゃこの細道しかねえよ。という。やむを得なければ仕方がないから、細道を降りた。





 下りたら、なんとまあ、妙見寺の下に出てしまった。ぐるっと丘陵を一回りして振出しに戻ったというわけ、そのために、だらだら道をうんこらうんこら登ったというわけ。ああ! 我ながらバカさ加減に気絶しそうになった。




 どうにか気を取り直して、再び三沢川の岸辺を歩く。もう4時になった。もう少し先に稲城中央公園があるはず、そしたら公園の中を突っ切って南武線・南多摩駅へ出よう。そう思って、山の端に近づいた夕日を浴びつつ疲れた足を引きずった。


 稲城中央公園近くまで来たが、公園への入口が分からない。公園へ続くらしい、鎖で通せんぼした道があったので、ままよ、と入ってみる。これがまた、胸突き八丁、後ろへひっくり返りそうな恐ろしい登り道。身も世もないような気分で登り切ったら、フェンスで通せんぼ。戻る? いやいや、同じ道を戻るのは断じて嫌だ。前へ!!



 よたよたとフェンスを乗り越えたら、住宅地になっていた。地図では公園の印なんだけどなあ? そこに犬の散歩の妙齢の女性がいた。この公園を突っ切って南多摩駅方面に行きたいのだが、というと、まあ親切にも案内するという。


 歩きながら、「でも暗くなってから公園の中を歩くのはどうなのかしら」と件の、30歳くらいの女性が穏やかに言う。大いに最もなこと、常識的なことであった。「まともな道を歩くことにします」「それじゃそこまで案内しますわ」


 そして公園の正式な入口となっているらしい、体育館の場所まで付いてきてくれた。ほのぼのと暖かいものが胸にみちる。午前中の女子高校生も、この女性も、薄汚い老人に対して、いやな顔もせずほんとに親切だった。


 こちらの一方的なことを言えば、歩いていて印象深いのは、美しい風景でもなく、路傍の石仏でもなく、人とのちょっとした関わりである。親切にされた関わりは、後々までほのぼのとした思い出になって残るものだ。





 女性と別れ、暗くなってきた大通りを緩やかに登ったり下ったりしながら歩く。足は死ぬほど疲れているらしいのに、ひとの親切が身にしみて暗い夜道も、こころには小さな灯がともっている。6時ころ南多摩駅に着いた。



 今日は上り下りがやたら多かった。家路をたどる足は、よたよたへろへろ。


 万歩計の距離は3万歩、換算20㎞だが、大きすぎだ、せいぜい18㎞かナ。


 風呂に入ってへろへろ改善、チュウを一杯、二杯。


 ああ、おもしろかったなあ!

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