たまたま日記

たまにしか書かないに日記         遊びをせんとやうまれけむ   戯れせんとや・・・・

暑いけれど



 今年の夏は、ほんとに変てこりんな天気だったように思う。(まだ夏は継続中?)
 第一に梅雨が途中で途切れて、それから1週間ほどして復活したみたいな経過だったし、そうかと思えば今頃になって、東北北部、北海道に梅雨前線みたいなのが現れ、梅雨末期のような大雨が降ってるし・・・
 第二に南の空はまだギラギラの夏雲が大きな顔をしているけれど、なんでかここ二、三日朝夕に吹く風が心なしか涼しい。季節は知らない間に回転しているのかもしれない。とかく暑いだ寒いだと騒いでみたって、過ぎ去ってみれば想いだすことさえ難しい、ひと時の感覚だったといううこともできそうだ。



 こんな調子で自然というものは、思いもかけない変転と遷移に満ちているものらしい。その自然の変化に強く規制されて生きなければならないわれらの世界も、より一層変幻万化、止めるところ知らずの世間なのかもしれない。
 今日の流行は明日に屍を並べて朽ち、新語はたちまち死語となる。”行く川の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず、よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて云々”とこのあたりは遠い祖先がすでに喝破したのだろう。



  残日少ない身となって考えてみれば、いくら何でも、うたかたとなってしょぼくれるのは如何にも残念な気がする。せめて川の流れぐらいにはなれないものだろうか、と考える。まあ、それは無理だとは思うけれど、なにがいいのかじっくりと考えてみたい。



 まずは、こころの欲するところに従い、欲せざるところはバッサリと切り捨られないか。とりあえずSNSが頭に浮かぶ。今までもこれを遠くに敬していたが、今後も不要のように思われる。だいたい、それでなくとも情報の大氾濫の時代であり、とても対応できない。
 テレビも4kだろうが8kだろうが、中身が問題、面白くなければことのほか精細を極めても意味なく思う。中身がよければ、小津だろうが黒沢だろうがジブリだろうが、多少古くてぼけていても見たいだろう。



 いっぽう、己の欲するところは何なのか、これが案外難しい。まずは田舎道を歩きたい。観光地はやっぱり敬して遠ざけたいが、何の変哲もない田舎道をぽくぽく歩くのはいい。ほかの人から見れば、な~~にがおもしろくて、となるはずだけれど、これは仕方がない。
 それから、本を読むこと。小説は意味が分からんチンなので困るが、旅行記、紀行文の類がことのほか好ましい。生涯どこにも出たことがないので、この手の本を読むと自分が旅行した気分になるからいい。
 食うことは、もう何でもよくなった。ごく安上がりで、そうしてしみじみと胃袋に沁み入る素朴な郷土料理などがいいと思う。山形の「だし」、新潟の「へぎ蕎麦」、それから奈良の「柿の葉寿司」、和歌山の「目はり寿司」などを食ってみたい。



 こうして自分の心理を腑分けしてみて初めて分かったことがある。
 それは、「もはや変化に追いつけなくなった、ただの愚痴だ!」ということ。
 ああ! なんてことだろう!

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