たまたま日記

たまにしか書かないに日記         遊びをせんとやうまれけむ   戯れせんとや・・・・

キンモクセイ香る



 キンモクセイの甘ったるいような香りが漂い始めると、ああ、秋だなあ、と思う。


 不思議なことに、その年の気候がどんなに変てこりんなものであっても、決まったように10月になると咲きだし、匂い立つ、という感じがする。それはあたかも、「10月」という暦日が、この花に記憶されているかのようである(んなこと、ありえねえ~)。




 写真のように、葉っぱの奥に隠れて密かに匂うものもあって、そんなとき、香りすれども姿が見えぬ、ホンにあなたは? などと周囲を見まわすことになるが、斜め前のお宅の木のようにうっそりと大木になって、樹冠に黄色い花がぴんぴん飛び出しているのもある。


 その大木とは3,40m離れているのだけれど、我が家のベランダに出ると、馥郁と甘酸っぱいような(香りを言葉で表現できない)香りが流れてきて、思わず空を仰げば白い秋の雲が青空にぽっかりと浮かび、ひとしお秋の気配を感得するんである。




 香る花(ないし木)は他にもいろいろあるようだが、わが貧弱な知識では、ほかに沈丁花ぐらいしか思い浮かばないけれど、ひょっとするとひょっとして、あらゆる草木の花が(花に限らず葉っぱなども)匂いを醸し出しているのかもしれない。


 ただ人間の「香り感覚」が大雑把にできていて、そのあえかな、密やかな香りを感受できないだけなのか、犬なんぞに比べ大いに劣るらしい。もっともあらゆる香りを敏感に感じ取っていては、ちょっとの悪臭でもいちいちのたうち回らねばならず、やってられない。




 香り感知に限ったことではなく、人間の感覚受容は案外いかげんだと聞いた。匂いのほかに音、つまり耳の能力だって聞き取れる範囲が限定されてい、なんデシベルからなんデシベルまで、その外側は感受しないらしいから人間にとって、つまりそういう音は存在しない。


 しかし奇妙なことに、耳が感受しない「音なしの音」をヒトの何かが感じているのだ、という話も聞いた。例えばガムラン音楽に含まれる超高周波は耳に聞こえないが、ヒトの器官のどこかに感受され、大いなる癒しの効果があるのだという。(一つの例としての、下記)

超高周波音を含むのは、ガムラン音楽や、熱帯雨林の森林の音などで、これらの音楽や、音声を浴びていると、体が反応して基幹脳(脳幹・視床・視床下部)が活性化し、アルファー波が増大し、免疫力が上がり、ストレスが減るとのこと。




 要するに、ヒトは限られた音を聞いて世界を理解しているらしいのだが、これはまた、耳に限ったことではなく、目もまた「ブルータスお前もか!!」であるらしい。目は電磁波のうち可視光線だけを感知するという。
 
 ここでもやはり、可視光線の外側のものは感受の範囲以外であって、ヒトの目には見えない。その見えない目でもってあたかもすべて見たように「世界はこうなっておる」など、ノタマイ、得意げであるから面白い。




 ヒトが持っている感覚感受器官はかくの如く、イイカゲン、大雑把で、聞こえない耳、見えない目、嗅げない鼻でもって、己が世界を構築している。だからその構築された世界が、世界の全部である保証は全くない。


 人には見えない、聞こえない、匂わない、別な世界が存在しているのかもしれない。そうして、そういう世界に住む住人たちが、ヒトをしげしげとみて、せせら笑っていないとは誰も言い切れないのではないか?







 感じ取る能力、それは案外「いいからカン」であるが、
 それを以てこの世界を構築し、そこで満足している。


 だから、・・・足元にわれらの知らない世界が、
 茫然と広がっているかもしれない、と思うこの頃。

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