半端者の安心
自慢じゃあるが、何をとっても中途半端、これだけはというものがどこにも見当らない。
第一に頭が悪い、要するに阿房。よって世の中のことも人のことも、ちびっとも分からない。なんだか分からないままに歳を取って、そして終わるらしい。
第二に酒に弱い、要するに酔っぱらう。よって酒の上で人に言えない失敗は数知れず。周り中に迷惑をかけ、かけっぱなしで終わるらしい。
第三に性格がよくない、要するに人に嫌われる。それを知らないで付き合い始めた人も立ちどころにして去っていき、孤独にさいなまれて終わるらしい。
世の中に、こういう何の取柄もない何ごとも中途半端な人間がいるだろうか、と思うけれど、現実にここにいるのだからどうすることもできない。生まれつきが悪い、というよりも世の中での努力を毛ほどもしなかった報い。
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と、いうことを、ずう~っと思ってきたのだけれど、近頃、「はて? まてよ」と思い始めた。頭も酒も性格も、すべて中途半端の出来損ないではあるが、頭がすごく良いこと、酒がめっぽう強いこと、性格が極めて良いことが、果たしてそれほど憧れるべきことなんだろうか、と考え始めた。
第一、頭がいい、ということは、世の中のしくみも人の性情もよくよくわかる、ということだろう。要するに世の中の諸事百般をたちどころに理解し了解してしまう。そうすると半端者には見えない、分からないことまですっきりと分かってしまう。そういう人を心底うらやましいと思う。
しかし、世にある諸々が、諸手を挙げて素晴らしいものであるならば、ならそれでいいかもしれないが、案に相違して素晴らしくもなく、却って薄汚れたことが多いならば、それがすっかり見えてしまう分かってしまう、ということは、これはむしろ精神的に苦しいことではあるまいか? 見えなくてもいいことが見えてしまう、辛いことではないか。
第二、酒が強い、ということは、いくら飲んでも酔っぱらわない、乱れないということだろう。悠々泰然として斗酒なお辞せず! かあ~っこいい~! わずか3合の酒に酔って記憶がぶっ飛ぶ半端者からすれば憧れの人となる。
しかしこういう人がひとまず酔うためには、どれほどの酒が必要になるのだろうか。日本酒一升かウイスキーボトル1本か。金はかかるし時間もかかるし、なかなかいい気分になれないし、案外つらいものかもしれない。逆に見れば、3合で充分だなんていいなあ、と思っているかもしれない。
第三に、性格がいい、ということは、誰からも好かれるということだろう。人格高潔、人(他人)に優しく、誰をも平等に扱い、誰からも尊敬される。こういう人を見れば、その1/10でも真似したくなってくるが如何せんそれができない。
しかし性格がいいというのは、周りからのストレスをそのまま受け止めなければならない、ということでもあろうと思う。それは本人にとっては苦しく辛いことに違いない。そう考えると、ま、そんな思いをするならこのままでもいいや、ということになる。
というわけで、開き直りというか負け惜しみのというか、
恵まれている人も決して楽ちんなだけではないよなあ、
という、ま、当たり前すぎる感想。