たまたま日記

たまにしか書かないに日記         遊びをせんとやうまれけむ   戯れせんとや・・・・

春めく


 急に気温が上がってなにやら春の気配。
 気分はうずうず、近場の土手道にいく。




 歩くと腹の具合がいい。出っ張っていたのが引っ込むような気がし、腹の中もなんだかすっきりするように思う。歩きに行ってから4,5日はこのように調子がいいが、1週間、10日と過ぎると、またぞろ出っ張ってきて、中の方も重ったるくなる。
 腹が出っ張ってきて重ったるくなったら、よいしょと歩きに出かける。歩くときは10㎞を越えるほどうんと歩く。なにも無理せんで毎日少し歩けばいいじゃないか。それがめんどくさい。毎日少し歩くのをまとめて置いて、けっこうな距離を一気に歩くほうが簡単だ。



 そんなわけで土手道へ繰り出す。近所はもう梅が大きな顔で咲いている。赤いのと白いのが一番早く咲き始めるらしい。そしてこれ以降、次から次へと青いのやピンクのや枝垂れるのが咲き出すようだ。そうして桜のころまで咲いているのがある。
 こうなってくると、梅ばかりか様々な花が追っかけるように咲き出し、応接に大変忙しい。これは毎年のことなんだから、いい加減慣れて打っちゃって置けばいいものを、春が来た嬉しさは雪国と同じで、ついついいろいろと応接することになってしまう。




 さて川辺の車が通る道ばかりではつまらないから、河原の藪の中へ入ってみた。すぐ道がなくなり、枯れた茅にびっしり覆われて、獣の踏み跡みたいなのが続いている。とても歩きにくい、しかしいったん入った以上は、是が非でも前に進む。
 藪をこいで、とうとう小さな川で行どまった。が、なんとしても渡河せねばと思う。飛び越えるには年寄りだから危うい。無理したところで若い時分の半分も行かず、向こう側の泥にぼたりと落る。近くに丸太ん棒があった。それを投げ入れて橋を作りよろよろ渡った。



 
 向こう岸に渡ったら、砂地の畑があった。カップ麺の殻などもあり怪し匂いがする。これはいかんと藪を抜けだすべく闇雲に歩いたら、小さなグランドに出た。いい年のおやじ二人が模型飛行機を飛ばしている。飛行機は大きい。
 おもしろいからしばらく見学。一機がふわりと浮き上がってぎゅい~~んと青空に登って、くるりと反転し真っ直ぐ飛んだりまた昇ったりした。ほとんどエンジンの音がしないから電池で飛ぶのかもしれない。楽しいんだろなあ。

   





 東京の一部とは思えないような、田んぼや畑が広がる地域。川が蛇行して沖積地を作ったらしい。川側は直線的だが陸側は半円形に出っ張っている。この川の両岸にはこのような地形が幾つかみられる。大昔の川の、乱流の所業だろう。
 その中に田んぼや畑が作られた。しかし田んぼは年を追うごとに少なくなってきているように思われる。米を作るというのは、まあ大変な作業だろうと思うが、そればかりではなく、この頃は日本人が米をあまり必要としなくなった影響もあるかもしれない。
 その農道のような道を歩くのは楽しい。春一番の花たちが小さな顔をのぞかせ、若草も萌え出したくて、やっぱりうずうずしている。一つの畑にホトケノザが群生し、真っ赤に色付いて、こうなるとこの小さな花も獰猛に見える。


  


 集落の中へ入った。何十年も前の光景が、ときが凍ったように固定されている。古い土蔵の壁や、赤さびたトタンの屋根に郷愁を感じる。住んでる人はあの畑や田んぼの道持ち主だろう。そして風景と一緒に今では年老いたのだろう。
 日本人は今や農業をどこかに押しのけようとしているように見える。ひところ騒がれた食糧安保は最近うんもすんもない。金があれば無理無体に外国から買ってくるんだろうけれど、その金もだんだん怪しくなっているようだ。まあ、あと残り少ないから関係ないか。 




 もう一つ同じような沖積地の畑がある。広い畑地に、こちらは家が二軒しかない。二軒じゃとてもやり切れたもんじゃないだろうな。休耕地が多いように思う。それでもほったらかしにすれば、たちまち原野になってしまうから、ほとんどは耕してだけある。



 山際の畑に猪罠が設置してあった。こんなところにも猪が大威張りで現れるとは思わなかった。猪と猿は生意気なことに傍若無人である。日本中の田舎で大きな顔をしている。ここは一丁、人間の恐ろしさをきっちり見せてやらなければいけないと思う。
 それには鉄砲でばんばん撃って食ってしまうのがいい。はた迷惑な害獣が減るし、食料資源の確保にもなる。だがしかし、それをお前がやれと言われれば、これは、なに構わず逃げるしかない。だが肉は喜んで頂く所存だ。獣の肉は旨そうだ。




 さてさて、対岸に渡って川沿いを帰るとしよう。風もあまりなくいい散歩日和だった。しかし、野道をぽつりぽつりと歩く姿は、よそから見たら異様だろう。あいつ行き倒れるんじゃないか、などと心配かけそうだ。しかしこれからも歩いていたい。
 なんの役にも立たないことをして、立派な極つぶしだ。いまの日本に姥捨て山が無いことが幸いである(いや、あるのかな?)。あったとしても知ったこっちゃない、歩いて花を眺めながら知らん顔していよう。




 春めいてきた陽ざしの中をのろのろ歩いた。
 案外距離がいって17.5㎞。
 腹よひっこめ。

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