とりとめなし
起きた、飯食った、寝た、
というように直接自分の体が経験したことを文字に書くのは比較的に易しいように思う。
けれど、体で体験したことでなく、脳みその中だけで「体験」?したことを書くのは難しい。この場合は体験でなくて「妄想」というべきかもしれないが、その妄想したことだって書くのは難しいと感じる。(その点、小説家なんて偉いよなあ! )
それでもまあ、脳みそに去来した妄想のごときものを何とか文章にしたとしても、よくよく吟味してみれば、みんなどこかから借りてきた考えを、そのまま妄想しているに過ぎない、と気付く。
テレビだったり本だったりで、その考えはすでに誰かが話したり書いたりしている。自分の脳みそだけから出来上がった、まっさらな考え、なんて全く無い、と気付いて唖然とする。長い間生きてきて、この年になってもまだ、自分独自のモノの考え方がまるでない、ということはどういうことだろうか、と空しくなってしまう。
そう考えると、誰かがすでに話したり書いたりした考えを、そのまま得々と書く、というのは盗人猛々しいかもしれない。だから、得々として盗人猛々しいのはちょっと遠慮しておこう、と思う。
となるとやはり「起きた、飯食った、寝た」を書くよりほかない。仕方がないからそれを書いてみると、これは誰でもが同じよう体験なのだから、同じような内容になってしまう。自分と同じような内容の、他の人が書いたものを親身に読む、ということは、まあ無いだろうと思われる。これもまた空しい。
ほらネ、
脳みそに浮かんだ妄想を書けば、
かくの如く、とりとめなくなってしまう。