たまたま日記

たまにしか書かないに日記         遊びをせんとやうまれけむ   戯れせんとや・・・・

この世は幻

 
 実際にはありもしないものを見、あるものを見ない。
 音のしないものを聞き、聞こえるべき音を聞かず。



 
 なんてことは、人とにとって日常茶飯なことなのだ、と誰かが言った。
 んなことはないだろう、見えているものはあるのだし、音がすれば耳が捉えるだろう、それを見たり見なかったり、聞いたり聞かなかったり、そんなことがあるはずがない。



 と言ったら、これでどうじゃ、と一枚の絵を持ってきた。古めかしい形の、黒っぽい壺の絵が描いてある。壺だね。壺の両側をよ~~く見るのだ。あれれっ! 人の顔が向き合っている。しかし実際は壺が書いてあるだけで人の顔はない、つまり無いものを見ているのだ。



 次に彼は私を街中に連れて行った。そして少し離れて、○○と私の名を呼んだから、はっとして気付いた。それから彼は、○○は馬鹿だ、何にも知らん阿保だ、そんなんでよくもまあ、いままで生きてこられたもんだ。と散々悪口をこいた。
 おい、街の騒音で聞こえないと思って、よくも悪口を並べたな、こっちはお前の声だけは聞こえているんだ、とんでもの太てえ野郎だ、と言ったら、な、悪口だけ聞こえて街の騒音は聞えなかっただろ、音はしているのに聞こえないのだ。





 彼が言うには、これらはみんな脳みそが勝手にやることであって、当の本人は全く気付かずにいる現象、なのだそうだ。存在しないものを見、あるいは存在するものを見ない。また聞こえるはずがないのを聞き、あるいは聞こえているはずのものを聞かない。
 おそらく目や耳は、存在するもの、聞こえるものを正直にとらえているのだろうが、それが脳みその中に入って、順々に処理される過程で、どこかにうっちゃらかされてしてしまって雲散霧消する。
 逆に存在しないもの、聞こえないはずがないものを、目や耳の正直さを裏切って脳みそが勝手に作り上げる、これはもしかすると人が動物として生きていくために脳みそが作り出した能力かも知れない、何となれば天井の節穴は例外なく人の顔に見えるのだから。



 その人にこう言った。じゃあなにか、脳みそは場合によっては、見るべきものを見ず、聞くべきことを聞かず、なのか? そうすると、この世界を見ているというのは、蓮根の穴のような、穴だらけの世界を見ているということなのか? 
 なんという、ぶんむくれた話だ! だいたい脳みそは、なんだって持ち主であるこの俺様に断りもなしにそういうことをするんだ、許せない! だいたいやつは最近さぼっていて、昔の記憶はどこかへぶん投げてしまうは、最近の記憶だってまともに覚えやしない、暇さえありゃあ、ごろちゃら寝てばっかりで、スマホの扱いなど、はなっから覚える気がない!
・・・と、だんだん激高して、そして目が覚めた!

×

非ログインユーザーとして返信する