たまたま日記

たまにしか書かないに日記         遊びをせんとやうまれけむ   戯れせんとや・・・・

台風接近、お徒隊がゆく



 恐ろしい化け物がつ近づいてきている11日、お徒隊が多摩丘陵を歩いた。


 何もこんな時に好き好んで、ではあるが、ある事情で実施したかった。前日の10日、天気予報とにらめっこで、やるべきかやらざるべきか、悩みに悩んで疲れ果て、それでも当日は1時間に1㎜程度の雨とのことなので、決行と決めた。




 当日、曇り空の集合地駅に集まったのは全員9名。今回の企画ガイドは不世出の晴れ女s女史のであり、その神通力が見事功を奏して雨は降っていない。女史の案内するところでは、今回は町田市の「小山田緑地」を歩くという。


 


 10時、丘陵の尾根道に出たが地面も濡れていないし風だって吹いていない。女史の魔力に一同いたく感動、ついでではないけれど、ナンとかチョッキン虫というのは、ドングリに一つ卵を産み、枝ごと切り落として地面に軟着陸させるのだ、という女史の説明にさらに感動。





  小山田緑地は大きく言えば多摩丘陵の一部で、町田市域に入る。多摩丘陵のうち多摩市の側は、天地をひっくり返すような開発で多摩ニュータウンとなったが、町田市側は比較的丘陵の面影が残されている。
 その尾根道を上ったりおりたり、道野辺に茂る夏草がようやく秋の色を帯び、これはなんだ? あれじゃないか、これじゃないか! と、植物に詳しい者が参加していないのでちっとも埒が明かない。





 この一帯は、町田市の大部分を含めて鎌倉武士、小山田某(なにがし)の領地だったらしい。昼飯の後に行く予定の「大泉寺」境域はその某の居館があった場所と言われていて、そのため、弓の訓練所の「的場」があったり、馬を飼っておく馬場窪などという地名が残っている。
 その「的場跡」に行ってみる。尾根道からなだらかな草地を下って、喬木の下陰に小さな石柱があり「小山田城的場跡」の文字が見える。比較的平らな地形なので、ここで流鏑馬のように騎射の訓練をしたのではないかとは、女史の説明。





 別な丘陵に登って下って「馬場窪」という広々とした草原へ。運動公園になっている。あずま屋があって屋根があるからここで昼飯。ちょうど反対側から10名ほどの中年女子軍団も降りてきて、お互いここで昼飯。
 四角いベンチにま~るくなって腰を下ろし、肩寄あってじじばば軍団(我われ)とおばさん軍団とが戦争もせずに二つのベンチを分け合って楽しく飯を食う。おばさん軍団は多摩ニュータウン駅から歩いてきた、と言っていたような?




 
 大泉寺へ向かう途中に「見晴台」という、丹沢山地、さらに遠く富士山、多摩の山々を見晴るかす尾根がある。さすがに今日は麓の街並みぐらいしか見えないけれど、あの辺りに何があり、この辺りにかにがあって、などと結構楽しい。
 晴れていればなあ、などと思うのはよくない。現に曇っているのだし、幸いにして雨はまだ降らないし、これで上等としなければ話にもなんにもならない。恐ろしげな台風の、その訪問前の隙間を縫って歩くのだから贅沢を言っては困る。





 この草地で「ナンバンキセル」という変てこりんの花を見つけたのだけれど、スマートホンで写したためか、ここへアップロードできないようだ。この手の知識に乏しいのだが、いまさらそれに詳しくなってもなあ! という気もする。
 代わりに麓で見つけたヒガンバナを、多少時期遅れではあるが掲示しよう。ところで話は脇道に入ってしまうが、毎年恒例のキンモクセイはまだ匂ってこない。これもどういうわけだか知らないけれど、今度の台風のもの凄さとともになんだか変てこだ。





 さて大泉寺に着いた。本堂のある裏山一帯が小山田某の居館があった場所だというが、いまは様々なお堂になっているらしい。らしいというのはその場所に登らなかったからであり、登らなかったのはズルをしたのであり、s女史の説明で十分だったからでもある。
 大泉寺の総門は見事な八脚門であり、中になにやら身の丈ほどの像が祀られているが中が暗くてよくわからなかった。山門の前では写真を写したが、一同目つきが良くないためか自ら隠してしまったので、せっかくの美男美女も面影がよくわからなくなった。




 大泉寺の境内をうろうろしていたら雨が落ちてきた。どうやら本式に降るらしい。時刻は2時ころだが今回はここまでで終了とすることにした。どっちみちあとは駅まで帰るだけなのでほぼ終わったようなものだけれど。
 バス通りまで歩く間に雨は止まず少し強くなってきた。幸い風がなくて傘を差すだけで充分間に合う。そうしてバスに乗って多摩センター駅へ到着、s女史の神通力に感謝しつつ、次回もまた恙なきことを祈って解散。






 我らが「平成お徒隊」はとある学習機関のサークルであり、そこで知り合った仲間だが概ねみな多摩地方に住んでいる。住んではいるのだが東京のことも多摩地方のことも、実はあまりよく知らない。
 地方から出た者も東京出身の者も混在しているが、住んでいる地域のことをよく知らないから歩き回って少し知ろうじゃないか、ということでできたサークル。毎月1回、適当(適切)にコースを企画し、機関在籍の人に呼びかけて、そうして歩いている。


 それで自分としては、退職後の世間がだいぶ広がった。

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