たまたま日記

たまにしか書かないに日記         遊びをせんとやうまれけむ   戯れせんとや・・・・

多摩山地沢道




 多摩地方の西の端、電車の終点に五日市の街がある。
 この地で、明治の初期に「五日市憲法草案」が作られた。87年後の1968年大学教授がそれを発見し、その先進性が注目された。ーーてなわけで、そのゆかりの地を訪ねてみようとなり、その下見のために出かけてきた。


 武蔵五日市駅のホームから眺める街はぐるりを丘陵に囲まれ、樹木の緑一色に染められて美しい。丘陵の中の街だから谷や山が入り組み、家々はその斜面にが埋もれるように立ち並んでいる。空は曇っているが午後から晴れるという。



 ひとりで歩くのも退屈だから、鶴さんに同行してもらうことにした。その鶴さんが鶴のようなひょろ長い体で改札から出てきて、「これぐらいの天気がええね、ピーカンなんて今の時期たまらんわ」と言ってニコニコしている。
 「今日は握り飯を自分で作ってきた、準備万端じゃ。で最初はどこへ行くの? まいまい坂? ああ、武州世直し一揆勢を押し返したという場所だな。そこになにかあるんかい、なに! ただの坂道! かなわんなもう」鶴さんはいうけれど、午前中だから元気はいい。



 「なるほどね、ただの坂だね。というより崖じゃん。で、ここを降りる? ま舗装してあるからいいけど」「下まで来たけど、な~~にもないねえ、どこが”まいまい”なんかね? 」「ええっ、こっち側をまた昇り返すのか! こりゃ崖だって! 」鶴さんが言う。
 元の道へようよう登り返したとき、地元のおじさん現る。おじさん曰く、「まいまい坂」は向こう側の崖にある坂よ、下まで降りて川を渡った先の急斜面だ。そこまで一揆勢が攻めてきて、この村のものが崖下で食い止め、ここで戦った。と見てきたように言う。



 おじさんの話は長くなりそうだし、鶴さんは感心して聞いているし、促して先へ進む。沢沿いの道は緩いながらも上り坂、向こう側の山の斜面に張り付くように、樹木に埋もれた家が建っている。平地がないから、家々もだんだんに建てられている。
 鶴さんが独り言ちる。「草深い田舎だなあ、あのどやしつけるようなビルが建つ都心も、草に埋もれる田舎も、東京かあ。東京は面積は小さいが、人文地理的には広いもんだなあ。実に様々な違った顔があるね。だからちょっとばかり頭が混乱するような気がする」




 「穴沢天神社っていうのがあるぜ。なんだか薄気味が悪いような、陰気な社だなあ、これじゃあ、お参りする人だって社の裏から何か出てきそうで落ち着かないんじゃねえかな。おっ! この先に明るく開けた場所がある、あそこで休もうや」
 「ここは珍しく開けた場所だけれど、なにに使われているんだろ、材木置き場だったのかなあ。この辺りは山持ちが多く、裕福な人が多かったんだろ、これから行く深沢家も山林地主の豪農だったんだろ。江戸に木材や炭を出して金持ちだったらしいじゃないか」
 と鶴さんが言う。二人並んで材木の上に腰を下ろし、同じ向きに顔を並べておやつを食べ、涼しい風に吹かれている。明治時代の深沢家の息子権八は、五日市憲法草案作成の中心になっており、その屋敷と土蔵があった場所に向かっているからそんな話題になった。



 
 「道がだいぶ狭くなってきたな。いよいよ山奥に入って来たって感じだ。それにしてもアジサイが多いなあ、あれっ! 南沢アジサイ山入り口って書いてあるよ。ここ行くの? えっ、帰りに寄るってか。そうだよな、まずは深沢家だよな」
「この沢はずいぶん水がきれいだけど、なんか魚がいるかな。お、お、いるいる、案外大きいな。なんだろう、ハヤかな、ウグイ? ヤマメじゃないだろうな。この辺の子供は魚を追っかけないのだろうか。夢中だったけどなあ俺たちは」鶴さんの顔が子供に帰っている。




 「あの2階建ての大きな家は、お蚕さんをやっていた家だな。あの2階のとこの窓なしの大きな部屋で蚕を飼うんだ。蚕なんて言ったってそりゃ、もう下にも置かない待遇だね。桑の葉っぱはなんぼでも補充され、寝床だって快適、家じゅうが掛かり切りだからね」
 「こういう山村は明治になったらお蚕さまさまだった筈、田んぼも畑もないけれど、お蚕は金に化けるんだ。たしかここでも、絹の黒染めなんて特産品があっって、全国に送られたらしいじゃないか。蚕様は神様だったんだな」鶴さんは変なことに詳しい。



 鶴さんは、川魚からお蚕までよく知っている。道は上り、目にも分るようになってきた。「地味に登ってるなあ、こういうのは気づかずに疲れる。おお、あそこの家はまた立派だなあ。青い屋根をかぶって森の王者にようだ。あれもお蚕かね」



 鶴さんはよくしゃべるけれど、それでもなんとなく疲れを感じているらしい。まいまい坂の上り下りが知らぬうちに効いているし、その後も登りばっかりだった。そうしてやっと、お寺に隣り合う、道脇の奥に深沢家の屋敷跡が見えてきた。門構えがいかめしい。




 「門を入ると草地なんだね。おお、あれが例の土蔵か、真新しいね。え、復元されたもの? だろうなあ、明治のものが残ってるはずないもんな。この中に五日市憲法草案が87年間も眠り続けていたわけかあ、でもよく発見されたもんだね」




 「で、この草地に深沢家の屋敷があったというわけね。この説明板に屋敷の写真があるけれど、山林地主の建物としてもそう大きいものじゃないような気がする。写真と実物じゃあ、見た目が全然違うだろうけどね。」




 「往時茫々、草地になり果て候、だな。ご子孫は今どうなってるんだろう。最も深沢権八は28歳ぐらいで亡くなってっているんだろ。子供があったのかどうか知らんけど、代々続いているのかどうか。家が何世代も続くって難しよな。人生浮き沈みだから」




 屋敷跡から出て、沢道に面した広場の東屋で昼飯にする。鶴さんが言う。「でもなあ、明治14年ごろの、こんな草の田舎で、よくもまあ権八さんは憲法草案など作ろうとしたよなあア! 勧農学校という小学校に転勤してきた千葉徳三郎という人の影響かなあ」
 「しかもこの近辺の青年たちを集めて、人権意識やら民主主義やらについて、徹底的にデペートして作り上げたというじゃないか、えらいやね。そのおかげで、この地域の人々に民主主義的な考えが広がったんだろうから、そりゃあ、大きな影響力だったよな」




 いつの間にかお寺の方から猫がわらわら出てきた。なにか食い物が貰えると思ったらしい。「うわ~~、勘弁してくれぇ、オレ猫ダメなんだ。猫はこうちょっとなあ、あっちへ行ってくれってば」尤もらしいことを言っていた鶴さんだったが、身が縮こまっている。
 晴れているのか曇っているのか、判然しない空から涼しい風が吹き、ムシトリナデシコを揺らしている。ヤマボウシの白い花が木を隠すほど満開になっている。タニウツギはそろそろ花が終わるらしい。




 「やあ、南沢アジサイ山の入り口まで戻ってきたよ。ここへ入るってか? また登り坂だよ、やれやれ、足はなんともないけど、腰がね。歳だよなあ、近頃目がぼんやりするし記憶がまるで怪しいし、なんだかなあなんだよ」
 「おいこりゃあ、けっこう急だぜ。なに、休ませてくれ? いいだろう、こう見えても、けっこう敬老精神はあるんだ。この先何があるかは存じはせねど、と。まあ、休もうや、何しろ日は長い、ゆっくりと参ろう」




 「これがアジサイ山かあ。まだ花は咲いちゃあいないね。葉っぱばっかりだ。道々にずいぶん咲いていたから、あれを眺めてここは止しにしたらどうよ。まあ、そん時の雰囲気できめりゃあいいってことだがね」
 「奥が深いね。ずっと山道にアジサイが続いているよ。たぶんこれは、この山の持ち主個人が植えたんだね。公共の公園という感じがしない。この下に大きな家があったが、あそこが持ち主じゃないかな、まあ想像だけど」ぶつぶつ言いながら鶴さんが登っていく。



 「どこまで行っても花が咲いちゃあいないから、これで帰ろうや。ほほう、これはまたずいぶん立派な茅葺屋根だねえ。俺、今日思ったんだけど、この地域には立派な家がある。それは江戸に材木や炭などを出して財を成した人が多かったからだと思う」
 「昔は富裕な村だったんじゃないかな。だから深沢家の権八さんも、豊富な資金で憲法草案などを研究する余裕があったんじゃないのかナ。でもまあ、金だけじゃなくて彼自身の資質が豊かであったことは間違いないけれど」と鶴さんは意外なところに目を付けた。




 「やっとこさ街中まで戻ってきたけれど、そうかこれが五日市憲法草案の碑か。いい場所にあるんじゃないか、隣は中学校と市の文化会館みたいだし、教育上大変よろしい。ほんの小さな町だけれど、意外によく考えられているよな」と鶴さんは感心した。




 「街の資料館か。五日市憲法草案の全文が掲示されているね。細かい字だなあ、よく毛筆でこんな字を書けるよなあ。子供向けの解説リーフフレットがあるから、これ貰っていこう。ふ~~ん、権八さんもいい顔してるねえ」




 「また休むってか。まあ、やっぱり疲れたねえ。えッ! これで止めようってか? まだこのあとお寺や神社に行くんじゃなかったの。いいの、本番で困らない? そうか、じゃここまでにするか、わっしも目いっぱいでやんす」
 「じゃ、どこかでビールでもぐびぐびして、お疲れを癒しましょうかね。でもビール出してくれるかなあ、どこへ行ってもダメみたいだって言ううからナ。でも電車に乗って町場で探してみっとすっか」と鶴さんが言う。






 ずいぶん探したけれど、ビールぐびぐびなんてできる筈もなかった。
 世の中が平和になったら、鶴さんと大いに乾杯することにして帰宅。
 総歩行距離は14.5㎞。風呂上がりのビールは、なんともかんとも!!

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