たまたま日記

たまにしか書かないに日記         遊びをせんとやうまれけむ   戯れせんとや・・・・

所沢探訪


とある組織の人が集って、東京近辺を「歩く会」結成。
コロナのおかげさまで9ヵ月ぶりに再開、で参加。
自分持ちで注意しつつ、コロナと共に歩く!


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 今回は埼玉所沢。東京と接している街だから、ひょいっと行くことができる。
 所沢駅前には高層マンションがにょきにょきしていて、しかしすこし郊外に出れば畑が広がるという、便利でもってしかも鄙びていて、住むのはよか街ですたい。今日はその街をぐるっと回って、現代と昔とを同時体験する趣向。


 駅から南へ下って西武池袋線の線路を渡れば、もう高いビルはない。その鎌倉街道沿いに長久寺がある。時宗の寺というのも他ではあまり見ないけれど、境内にある廻国供養塔は市の文化財。鞘堂には薬師如来と書いてある。この地生まれの医家が1774年に建立。

 




 次は新田義貞の将軍塚がある狭山丘陵ふもとの八幡神社。石清水八幡宮を分祀したと伝わる。新田義貞が戦勝祈願をしたという伝説があり、兜を掛けたという、ちょろい松が枯れかけている。ここまで来るともはや山の奥、森厳にして閑寂。




 丘陵から這い出て、所沢郷土美術館。本屋は木造平屋の銅板葺きで国の登録有形文化財で、現在は私設美術館だけれど、残念、休館中。長屋門も川越藩の侍医の屋敷の格式を備えたもので同文化財。中にはどんな美術品があるのだろう。




 すぐ近くの中学校の校庭から、東山道武蔵道の遺構が発掘されたという。埋め戻されて偲ぶよすがはないが、ここから発掘遺構が保存されている中央線西国分駅へまっすぐ続いていたはず。ただこの先に丘陵のしっぽが横たわっているが、そこをどう超えていたのか。


 再び街の中へ入って、鎌倉街道をゆく。幅は3mぐらい、各地で鎌倉街道だったという道を見たが、いずれも同じぐらいの道幅だった。実際の街道もこれくらいの幅だったのか? 説明板があるだけで変哲もない道だから、言われなければ分らないなあ。




 ところで、巡国雑記という書物に「野遊びのさなかに山の芋添えて堀求めたる野老(ところ)沢かな」という歌があり、これが地名となった由である。この地の名産は今でも山芋だというから、ほんとのことかもしれない。まあ、「諸説あり」の類だろうか?


 おもしろいことに、次に行った実蔵院というお寺の山号が「野老山」となっている。1352年創建と伝えられているそうだから、鎌倉幕府滅亡の直後だ。そのころからこの辺りは野老の地名だった可能性が高い。所沢の地名については所さんにでも聞いてみるしかないか。




 所沢市民の初詣のメッカ、所澤神明社へ行く。元旦早朝に開かれる熊手市と6月の人形供養が有名なのだそうだ。拝殿に立つと本殿まで一直線に見通すことができる。掃き清められた境内の石畳が清々しい。




 さて、お愉しみ、昼ごはんの時間。航空公園に入って三々五々、思い々のベンチで食す。見渡す残りの紅葉が美しい。午後の陽はあくまで優しく、暖冬だなあと思う。その辺で遊んでいる幼児がとても可愛らしい。平和だなあ、それにしてもコロナメ。




 午後からは東川の岸辺を歩く。桜の並木が延々と連なる。畑が広がって鄙びた田舎の風情たっぷり、桜の花はなくても、広々とした空間がとても心地よい。こういうところならいつまでも歩きたいと思う。




 最後は打って変わって、サクラタウンという、現代そのものの空間。隈研吾さん設計の建物がひときわ目を引く。ガイド氏によれば、若い人、特に青年男女がわらわらと集まる空間なのだそうだ。階段を上ると東所沢あたりの畑と森が眼前に広がる。


 角川書店のビルがあり、どうやらアニメを主題とした商業、文化の複合施設であるらしい。所沢の新名所となるのかどうか。所沢は航空公園、このサクラタウンといい、進取の文化をいち早く取り入れる土地柄のようだ。野老芋とどう関係するのか?




 東所沢駅で解散。
 新旧を適宜にこき交ぜて、楽しい一日だった。
 アニメの街らしく、マンホールも夜光るアニメ。



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