たまたま日記

たまにしか書かないに日記         遊びをせんとやうまれけむ   戯れせんとや・・・・

明るい冬




 巣籠り期間とあらば仕方がない、その辺をただ歩いて一回り。


 雲一つない冬空の下で、多摩川の水はすっきりと澄み通ってさらさらと流れる。葉を落とし切った丘陵の森は枝先が灰茶褐色に霞んで、陽だまりの中で眠っているようだ。冬本番にしては今日は暖かい、これだから、日本海側の吹雪は想像さえ難しい。




 丘陵の尾根道に続く僅か20mほどの坂道を、息を切らせながら途中休憩を入れつつ登る。こんなにも情けない態たらくで、とても登山など望むべくもない夢、中高年の登山ブームなどどこの世界の出来事かと思う。われ独り情けなきかな土を見る、ってか。


 尾根道の陽ざしは明るい。細い枝が針のように青空に突き刺さっている。この時期は樹木の休憩の時、骨休めの時だ、と聞いたことがある。そうなのかもしれないなあ、草木は一年中休みがなく、この時期だけほっと一息つくのかなと思う。




 尾根道の一部に杉林がある。いつもはここへ入ると、途端に暗くなって薄気味悪いほどなのだが、どうしたわけか今日は明るい陽が射している。杉の周りの雑木が葉を落としてしまったので、陽が入るようになったのかもしれない。

 針葉樹の林をさしたる理由なしに毛嫌いしていたが、認識を改めねばならないようだ。杉にしろ檜にしろ、故意に中を暗くしているわけではあるまいに、一方的な人間の感情でとばっちりを食う。いや、こっちが食わせてしまう。すまん!




 林の中を抜けると燦々と陽が射して、よく見るとヤマツツジの葉が萌え出そうとしている。誰に指示されたわけでもないのに、独りで早々と春の準備をしているのだなあ。葉っぱの蕾は茶褐色でカリカリに硬い。だんだん成長すると柔らかい緑になるのだろうか。




 滝山城址の中の曲輪跡地で昼飯。人がいるが、ちらほら程度で何ら問題なし。ベンチに向かい合ったおば様二人、うまそうな弁当をぱくつきながらお喋りとめどなし。咲き始めた梅の下を通ると、甘酸っぱいほのかな香りがした。
 枯葉が積もった草の上で握り飯を食う。目の前の枯葉をそっとどけてみると、下草が緑に芽吹いている。もうすぐ枯葉の布団を押しのけて、もりもりと顔を出してくるのだろう。枯葉の下で準備おさおさ怠りなく、エライゾ!




 誰かに教えられたわけでもなく、生の準備をし、そして命を全うして子孫を残す。生物というのは、考えれば不思議なものだ。こんな生命が、どういうわけで生じたのだろう。摩訶不思議。・・・偶然? もしかして偶然に生じてしまった? 
 地球環境の中で、なんだか知らないが偶然に生命が生じてしまった。それが発生してしまったら、環境の余りの居ごごちの良さに、分裂して増えた! あろうことか、あまつさえ進化までしてしまった!? すべて偶然のなせる業?
 進化しないでそのまま残ったやつもいるけれど、進化した方は勢いがついて、ついついヒトにまで進化を遂げてしまった。我々はその進化の行き着いた先なのだろうか。だとすれば、我々は生命発生以来の歴史を、この身に背負っているんじゃあるまいか?! そんな重たいわが身ならば、命は大切にしなくちゃなあ。




 丘陵から降りて里の中を行く。里道に人影は見当たらない。冬の明るい日差しが里を包んでいる。田んぼや畑はまだ眠っている。遠くに青い山波が連なり、霞が棚引いたような空を画している。あの山の向こうに何がある?




 多摩川の低地段丘に開けたこの里は、わずかな戸数しかないが、それでも中心あたりに神社があった。拝殿はなく小さな本殿に覆い屋が被せてある。数少ない氏子が維持しているとすれば、遠くない将来消えてしまうかも知れないナ。
 狭い道に民家が寄り添うように集まっている。その庭や畑には、いまこれといった花はないけれど、民家の庭の蝋梅がきらきらと陽ざしを反射している。近寄ってみるとくすぐったいような甘い香りがした。




 橋を渡って対岸を歩く。
 帰宅は3時半ごろ、13㎞。
 毎日散歩すればいいのだが、それさえめんどくさい。
 怠け者メ。


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