たまたま日記

たまにしか書かないに日記         遊びをせんとやうまれけむ   戯れせんとや・・・・

出雲へ

第一日目


安曇野の眺は素晴らしかった。
黄金色の田圃,青い山並み、点在する家いえ,澄んだ空気、どれも素晴らしい眺めだった。


松本から長い道を辿った。途中思わず眠くなったが、周りの山の緑を見て眠けが覚めた。新潟に入ってから、峡谷となり切り立った山の麓にフォッサマグナの露頭を尋ねる。なにがどうなって、こうなったのかよく理解できなかったが、続いて尋ねたフォッサマグナミュージアムでなんとなく理解できた。それにしても、フォッサマグナで産出された岩石の見事な不思議さ、ヒスイばかりじゃなかったんだなあ。

気張らないで



 ある人のブログを、その最初の方から読ませてもらっている。読み始めてたちまち引き込まれてしまった。文章が素晴らしい。読みやすく分かりやすく、淡々としていてしかも奥深い。


 気張らない、肩肘張らない文章と言うのだろうか。なかなかできない記述だと思う。内田百間の書き方を思い起こさせる。百間の文章は、名だたる名文家、阿川弘之や宮脇俊三が口を極めて誉めている、まさに真似の出来ない文章家だ。



 こういう文章を書きたいと思うけれど、とても出来る相談ではない。ブログの人は、意識して肩肘張らない、淡々とした記述をこころがけているのだそうだ。たぶん相当な努力の結果なのだろう。


 どんなことでもそうだろうけれど、むやみに力まないよう心がけたいと思う。やたら力むのはみっともない。力を抜いて、隠れるように淡々といきたいものだ。
 
この人はまた、昆虫草木にも詳しい。
その上、マンガも書かれる。
ほのぼのネコマンガもとてもいい。

冷涼



 このところしばらく朝さんぽをサボっている。朝礼暮改もいいところだけど、なんだか少し疲れてしまったようだ。そのあいだに朝晩が随分涼しくなった気がする。むしろ冷涼と言ってもいいぐらい。季節は淡々とそして確実に変化している。


 太陽の動きは、きちんきちんと運行し間違いなく季節を運んでくる。これは、永遠に変わらない如くであるように見える。だから、なんだか安心できる。変わらないもの、これを頼りにして、こころが落ち着く。



 日々鬼のような情報に取り巻かれ、たちまち変化する情報に振り回されて生きている。ちっとも落ち着かない。それもどうしても必要だと言うわけでもなさそうである。わらわらと向こうからかってにやって来る。


 人間、生きていくにはあまり物はいらないと言う。究極には、食い物と寝床があればなんとかなるらしい。これにならえば、今の情報のほとんどが要らないものかも知れない。押し寄せる情報をぶん投げ出すことはできないか。


 凡の悲しさ、できないなあ。