たまたま日記

たまにしか書かないに日記         遊びをせんとやうまれけむ   戯れせんとや・・・・

青梅宿から




 だいぶ早い時間に青梅駅へ着いてしまった。駅の周りをぶらぶら。ひっそりしている。
 そのときT氏から、10分遅刻、電車に遅れた、との連絡。ほい! また時間が余った。ならば、駅入り口前のベンチで休憩。ぬくぬくと陽が照って気持ちよし。駅への人通りも少なく、ちいっとゆっくりすべえか。
 今日は、4月に歩くコースの下見。沢井まで旧青梅街道を歩く。T氏を誘ったら、行くよ、といった。日向ぼっこしてると、10:10ころ、氏が駅出口からぬっと日焼けした顔を出した。氏は毎週2回、子供たちのサッカーコーチ、だから運動不足とは無縁らしい。




 駅の裏道を歩いてすぐ、七兵衛地蔵へ。七兵衛は江戸時代の義賊、金持ちから盗んできて貧乏人に施したという伝説の主。小さな祠に赤い幟や提灯が飾られ、中に地蔵様が一体。T氏がぼそりといった。「伝説といっても、それらしい何かがあたんだろうなあ」「ふむ、火の無いところになんとやら、か」
 隣の梅岩寺へ。平安時代の開山というから古い。境内に大きな枝垂れ桜の木があり市の天然記念物、もとより蕾はまだ硬い。代わりに薄桃色の梅が咲いていた。これから宿場の面影を残す青梅街道(旧青梅街道でもある)に出て西へ行く。




 青梅街道は青梅宿を東西に貫いている。青梅宿ができる前、青梅街道はもう一つ下の河岸段丘を西へ向かっていたそうだ。今も当時の「男井戸、女井戸」などがその街道に残っているという。宿場が出来てから街道は現在の山側に移った。
 江戸初期に八王子代官の分所である森下陣屋が設置され、それとともに東西10町、幅7mの道が整備され、次第に宿場が形成されたらしい。御岳参詣や奥多摩、甲州への旅人の往来も盛んだったようだ。「宿場らしい面影の建物があるな」とT氏。


 


 稲葉家という旧家が街道脇に残されている。宿場の町年寄を務め、材木や青梅絣などを商っていたらしい。蔵造り平屋の店舗は江戸時代後期の建築で、当時の店の様子がよくわかる。小柄な品のいいお婆さんが奥から出てきて、どうぞ上がって見てください、という。
 T氏は几帳面だから靴を脱いで上がった。土間に車長持が据えてあり、その上に大正時代かと思われる宿場の写真が飾ってあった。旧宿場の面影が伺える。そこから裏側に回ってみると3階建ての大きな蔵が残されていて、白壁が降り注ぐ陽に映えて美しい。お婆さんに聞くと「この辺りで3階の蔵は珍しいそうですよ」といった。店舗が都の指定文化財になっている。ご子孫が管理しその説明もされているようだ。




 少し行くと左手が金剛寺の坂となる。ここの山門は天保2年の火災にも焼け残った、桃山時代の建築であり、都の有形文化財。伽藍配置の調和が美しい。境内に「青梅」の名の由来になったという梅の古木がある。実が熟さず青いままなので「青梅」だそうだが・・・ その梅の木にぽつりぽつりと花が付いて、根元にフクジュソウが咲いていた。

 




 境内は広く、清々しく掃き清められている。隅にこれも古木の枝垂れ桜があった。ここから梅岩寺へもっていったらしい。ここのは幹は太いが枝がバッサリ詰めてある。「花は命短し、その時期にぴたんこ合わせるのは難しいこったよなあ」とT氏。




 金剛寺の隣、宿場街道が突き当ってくにゃりと曲がった場所に森下陣屋跡がある。大久保長安が八王子代官の時代に作られたという。敷地が1920坪というから相当なものだ。今はそこに陣屋の面影はなく、こじんまりと熊野神社が立つだけ。往時茫々。




 ここから先は裏宿と呼ばれ、江戸時代末期になって宿場に加えられたという。「この鄙びた加減がいいねえ、それらしき建物も残っているしさ、それにしても山が近いね」とT氏。「青梅は多摩川の谷筋だよ、狭い河岸段丘が幾段かあって狭い平地に住むのさ」




 間もなく街道から逸れて、多摩川岸辺に降りて行く小道に入る。「ここから先はほんとに旧街道らしい道だ」というと、「長閑なもんだなあ、蕗の塔でもあれば摘んで帰るんだがな」とT氏がいう。緩やかな坂を下ってから「日向和田臨川庭園」への急な坂を下った。
 簡素な門を入ると、多摩川に向かってなだらかに傾斜している地面に、大小さまざまな石が敷き詰めてある。その隙間に躑躅などの低木が植えられ、ところどころに楓や紅葉などがあり、今ちょうど梅が咲いている。
 狭い庭だがぐるりと一回りしてみた。「しかし木が多すぎるよなあ、上の小屋は茶室だな。この小屋で昼飯か」とT氏。「ここは青梅の代議士、津雲某の別邸だった。今は市の管理だね。あそこに小父さんが庭の手入れをしている。ま、とにかく飯、飯」

 


 そこへ件の小父さんがやって来た。「梅はまだ早いようだね」「まあ、下旬ごろが見ごろだな、街の中でもそのころだあね。今日は天気がええし、あったかくってええ案配じゃ、どこまで行くんかね。沢井までね、酒蔵で一杯やって帰んなよ」




 腹ごしらえもできて臨川庭園を後にする。「おい待ってくれ、ぜいぜい、坂は下ったら登らにゃならんのがたまにキズ」「へっ なんでぇこんなもん、屁ほどもねえぜ」さすがにサッカーコーチのT氏だ、かるがると登ってしまった。
 しばらく行くと旧街道は現街道に突き当たる。「突っ切って向こうの細道を行くんだ」「へえ! 今の街道と並行してるんだね、それにしてものんびりした道だなあ。真っ直ぐなところが旧街道らしくていいやね」T氏もこういう道が好きだと言った。


 


 ほどなく旧街道は現街道に合流、そこに「へそ饅頭」の店がある。この場所は川向こうの吉野梅郷に通じる橋がある。「昔ここに萬年橋というがあったらしい。大月の『猿橋』のように両岸から桁を張り出して架けたようだ」「なるほど、洪水に流されない萬年橋か」
 そう言いながらT氏がへそ饅頭を買ってきた。出来たてだからふわふわしている。「名物はとりあえず食ってみろ、っていうじゃねえか」昼飯を食ったばかりだがやむを得なければ食った。あんこが無暗に甘い。




 ここからしばらくは現街道の歩道を歩く。右手の山がぐっと迫って多摩川の崖っぷちに追い詰められる。狭い崖っぷちに青梅線、青梅街道が肩を寄せ合うように通じている。道脇に古い石仏を集めた一画があった。旧街道筋のものを一か所に集めたものだろう。




 その先、石神前駅のところからまた山側の細道に入る。「この道は『海禅寺通り』という旧街道だ。途中に海禅寺という古刹がある」「いやまたこれもいいなあ、長閑な道だ。鶯でも鳴いてくれねえかね」「鶯はどこかに出張中らしいや」


 「あの花は何だろう」「ふ~む、万作かなあ、それとも山茱萸かあ。分んねえ、俺に花の名を聞いたって、猫に小判ってなもんだ、無理だぜ」とT氏は威張っている。「こういう花が咲くと春がきたなあと思うな」「御意!」



 
そうして海禅寺に到着。「この禅寺は、この地の豪族、三田氏ゆかりの寺だそうだ。供養の宝篋印塔が残されている」そう言って武骨な石段を上る。「ほう、これはまた立派な山門だ、お~し、ちょっと休もうや」とT氏がどっかりと腰を下ろす。
 ふと見ると山門の下にフキノトウが3つばかり顔を出していた。T氏がいかにも摘み取りたそうにしていたが、几帳面氏だからやたら摘んではいかん、と思ったのかふっと手をひっこめた。「これを天ぷらにして、それでこう一杯」といった。
 それからひとしきりタラの芽や野蒜、蕗の塔の話になり、T氏は酒が強いから、早春の野草で飲むのがいかにうまいかを語った。温かい春の午後、暇人が二人、今日の日は暮れないだろうとばかり、碌でもない話に花が咲いた。

 




 十分休んで海禅寺を後にし、旧街道の細道をぐぐっと山側に折れて登った。途中、多摩川の流れが見えてきた。「あの橋のあたりで三田氏と北条氏照の軍勢が戦ったとされる。頭の上あたりに辛垣城という三田氏の城跡があるが、攻められ落城した。」
 ふんふんとT氏は聞いていた。道はくねくねと曲がって線路を越え橋のたもとの出た。「橋の先の道路が鎌倉街道と言われている。このあたり一帯で両軍激突だ」「なるほどね、それで軍畑という地名があるんだな。こんな狭い川っぷちで戦ったなんて思わなかったなあ、なんでも聞いてみるもんだ」橋を渡って鎌倉街道といわれる道を下っていく。
 「これが兜塚、戦いの後、鎧や兜を埋めて供養したと言われている。もしかするとそれをしたのは、この土地の百姓だったかも」「なるほど塚だ、地蔵さんが祀ってあるね。俺思うけど、いつの世も俺たち下っ端が一番だね、殺されなくても済む。領主が変われば変わったでまた年貢を納めればいいだけの話、領主なんか誰だっておんなじだ」塚を前にT氏がつぶやいた。




 そこからまた山側の細道を辿って沢井駅に到着。酒蔵の方へ下る途中に茅葺の大きな古民家がある。「この福島家は江戸初期から名主であり、またこの地の筏師組合の総代だった家だというよ」「これはまた立派なつくりだね、おい、まて、現在も居住してるって書いてあるぞ。へえ! こいつは驚いた、住めば住めるもんだ、魂消た!」




 「さあ、お待ちかね、酒蔵試飲と行こうか」「待ってました、まだ2時半だが構うことねえやな、イケイケどんどん」澤井園にある試飲小屋に繰り込んだ。一合の1/3ほどのお猪口をもらい、最初の一杯200円、次からお代わり100円の試しのみ。
 ハイカーの姿も見えないから、好きなテーブルにゆったりと座を占めて、一杯目と乾きのつまみを買ってきた。これで500円、100円玉をテーブルにばらまいて、「さあて、何杯いけるかな、まま、まだ早いんだゆっくりやろうや」酒飲みT氏がは心底嬉しそうだ。



 ガラス越しに下のガーデンを見下ろすと、テーブルにパラパラと人がいて、多摩川の川面を見ながら思い思いに酒を楽しんでいる。われらはしかし、今日はあそこへは行かない。この試飲小屋で腰を落ち着けようと思う。




 酒の種類は15種ぐらいある。一杯目は新酒を飲んだ。雑味が強く旨くない。2杯目に「大辛口」というのを飲んだら旨かった。T氏は茶色の古酒を飲んでいる。つまみは蓮根の素揚げ、ピリリと辛くて日本酒に合うようだ。
 歩いてきたせいか回りが早い。T氏の顔も少し赤みがさしている。続けざまに大辛口を飲んだ。酔いが早い。T氏も何杯目だか。「おい、冗談じゃねえ、一杯百円じゃ千円も呑むにゃ、飛んでもねえこんだ、べらぼうめ」とT氏がいう。そうだなあ、てえ変なこったなあ!



 お互いにもう飲めねえとなって、駅への急坂を登る。「ゼイゼイはあはあ、待ってくれえ、酔っちまったい、電車を止めておいてくれえ」「あんだよ、これぐれえ、急ぐこたあねえぞ、まだ日は高い」とT氏が坂の途中で待ってくれた。
 電車に乗って動きだして、そこから記憶がない。気が付いたら終点の青梅駅、む、むう、うむむ、と隣のT氏も目を覚ましたらしい。隣ホームの電車にまろび込んでようやく目が覚めた。家路への道をふらふら辿りながら美しい夕焼けを見た。




 今日はT氏を煩わして、旧青梅街道下見、12㎞。
 早春の息吹を感じながら、ゆるゆると一杯飲んだ。
 貧乏なれど、ああ! 良き日かな。

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